六号前之馬頭観音

「六号」がなにかは不明、岡部町三輪の岡部街道沿いに祀られる馬頭観音

六号前之馬頭観音

六号前之馬頭観音

六号前之馬頭観音、馬頭観音座像

座像

六号前之馬頭観音、馬頭観音立像

立像、六号前之馬頭観音

六号前之馬頭観音、周辺

塚の麓にある

六号前之馬頭観音、説明看板

おかべプロジェクト未来の看板

解説

岡部町三輪の県道213号沿いに、塚のような小さな盛り土があります。その塚の麓に小さな覆い屋が建っていて、馬頭観音の石像が2体と、宝珠のような形の石が数個、納められています。覆い屋の隣には「おかべプロジェクト未来」が2003年(平成15年)4月に建てた説明看板があります。馬頭観音は座像と立像があり、立像の方に「六号前之馬頭観音」の銘があります。

馬頭観音の背後の塚の上には墓が並んでいます。この塚は元は北側の高草山につながる山の一部でした。周囲が造成されていく中、この部分は墓地があるために切り崩されず現在まで残ったようです。馬頭観音の周囲に安置された宝珠のような形の石は、五輪塔の上部(空輪・風輪の部分)を取り外したもののように見えました。もしかしたら、塚上の墓地にあった五輪塔の名残りなのかもしれません。

馬頭観音の座像の方には銘などは見えませんでした。石材の違いによるものかもしれませんが、こちらの方がもう1体より古そうです。もう1体の立像には、光背に「六号前之馬頭観音、明治十九年八月十六日、津嶋松造(建?)」と彫られています。正確には、「号」は異体字の「号+乕」に近い形の字が用いられています。

おかべプロジェクト未来の看板によると、これらの馬頭観音は馬の供養碑として建てられたもので、道を行く馬や旅人の道中安全の祈願が込められているそうです。馬頭観音が現在安置されているのは、高草山南麓に沿って東海道まで伸びる道沿いの、岡部宿に近い場所です。往時この道を往来した人々にとっては、道中の目印としても心強く思われたかもしれません。

ところで、「六号前」の「六号」というのがなんなのかわかりません。前を通る県道213号に関わることかと思ったのですが、この道が県道岡部街道として整備されたのは大正3年(1914年)になってからでした。馬頭観音の建立は明治19年(1886年)なので、時期が合わないわけです。県道整備前にも道自体は存在しましたが、岡部町道6号という可能性は低そうです。供養した馬の名前というわけでもなさそうですし、いったい六号とはなんなのでしょうか。

参考文献
ふるさと東益津誌編集委員会編『ふるさと東益津誌』東部コミュニティ推進協議会、1982年
おかべプロジェクト未来
koseki-046110 (號) - GlyphWiki
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス:2万正式図藤枝町(1889年測量)