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当目橋

大崩沿いに初めて車道が通された時に架けられ、以後86年にわたって静岡・焼津間の交通を支えた、昭和3年竣功の橋

当目橋

当目橋

当目橋

焼津側から見た当目橋

当目橋、周辺

当目山と当目橋

当目橋、親柱・道標

親柱の銘と欄干の道標

親柱などの銘
  • 親柱上り線(至・静岡市)側:焼津側に“たうめはし”。静岡側は他3本の親柱と形状が異なり、装飾がないただのコンクリートブロックで、銘などもない。
  • 親柱下り線(至・瀬戸川)側:静岡側に“當目橋”、側面に“花澤川”。焼津側に“昭和三年十月竣工”。
  • 欄干中央の柱の道標:上り線側に“至静岡市、→一二粁”。下り線側に“至焼津町、→一粁五分”。
解説

当目橋は昭和3年(1928年)に造られたコンクリート製の橋で、たいぶ傷んでしまっていますが、欄干や親柱に古風な装飾を備えています。橋の親柱には当目橋(當目橋)と刻まれているのですが、橋の脇の看板には「当目小橋」とあり、現在の正式名称は当目小橋であるようです。

欄干は中央に向けてわずかに山形になっており、山の頂点にあたる部分に親柱と同じような装飾のある太い柱が建てられています。その道路側の側面が道標になっていて、上り線側には静岡市まで12km、下り線側には焼津町まで1.5kmとあります。橋が完成した当時のこの付近の住所は志太郡東益津村浜当目といい、志太郡焼津町とは瀬戸川を境に隣接していました。12km・1.5kmという距離は、それぞれの役場付近までの距離を示しています。

橋のたもとから伸びる松の緑も風情をそえて雰囲気のあるよい橋だなーと常々思っていたのですが、最近になって架け替え工事が始まりました。近い将来この古い橋の姿は見られなくなるものと思われます。

当目橋の由来と二つあった「当目橋」

橋の名前の「当目」は地名からとられたものです。橋から大崩側を望んで右手に見える椀形の山は虚空蔵山というのですが、この山の別名が当目山といいます。海に突き出した特徴的な形の山で、遠方からでも容易に判別でき、この付近のランドマークのような存在でした。橋がある付近の住所が「浜当目」というのも、この山を由来としています。

前述の通り、現在この橋には当目小橋と當目橋という二つの橋名の表示があります。竣功当時から設置されているだろう親柱に當目橋とあるからには、元は橋名に「小」はついていなかったのでしょう。道を南に進むと瀬戸川に当目大橋が架けられているのですが、これの初代にあたる大正15年(1926年)に架けられた橋が同じく当目橋でした。おそらく、元はどちらの橋も当目橋だったのでしょう。戦後国道に指定された際に、管理の必要上から大橋・小橋と呼び分けられるようになったのではないかと思われます。

昔は橋の名前はわりとイイカゲンに扱われることもあったようです。たとえば、当目橋以前に瀬戸川河口部に架かっていた橋は、那閉崎橋・赤池橋(資料によっては赤地橋)という二つの名で呼ばれていました。また、瀬戸川の当目橋も『焼津市誌』では「瀬戸川橋」と呼ばれていたりします。昭和の初めごろには橋など町村単位でも数えられるほどしか架かっておらず、またその管理も地元で行うことが多かったため、個々の橋を正確に呼び分ける必要などなかったのかもしれません。

当目橋の下を流れる川、花沢川と石脇川

名前が変わったといえば、当目橋の下を流れる川の名前も変わりました。以前は親柱にもあるとおり “花澤川” が流れていたのですが、現在は「二級河川石脇川」の看板が建てられています。これは、河川改修工事が行われ、現在橋の下を流れるのが花沢川ではなくなったことによります。

花沢川は、焼津市北東部の高草山中にある花沢集落から流れてくる川です。かつての花沢川は、高草山から下ってくる多くの谷川の水を集め、当目橋の下を通って瀬戸川河口部に合流し、海に流れ込んでいました。しかし、この川は現在も見られるとおりさほど広くなく、たびたび氾濫を起こしました。この排水問題をめぐって、江戸時代には沿川の村々同士で深刻な争いが発生しています。

花沢川の氾濫を根本的に解決すべく、戦後の土地改良事業で造られたのが、昭和41年(1966年)に完成した東益津排水隧道です。このトンネルをもって、花沢川の流れは浜当目を経ず、上流の小浜で高草川と共に大崩の山をくぐって直接海に放出されるようになりました。一方、浜当目地区の花沢川だった川筋は、東益津地区に整備された幹線排水路とつながる石脇川となりました。

こうした整備の末、昔のような大氾濫は起こさなくなった石脇川(花沢川)ですが、まったく溢れなくなったわけではなく、今でも大雨の際には浸水被害が発生します。このために現在行われているのが「二級河川石脇川広域河川改修事業」で、この事業の一環として当目橋は架け替えられることになりました。現在の技術ならこの程度の川幅は一跨ぎで越せるのでしょうが、昭和3年に造られた当目橋は川の中央に橋脚をおろしています。これが川の流れを妨げているため、架け替えの必要が生じたのです。

大崩に初めて通った車道「県道静岡川崎線」と当目橋

当目橋の上を通る静岡県道416号は、平成17年(2005年)まで国道150号だった道路です。この旧国道150号は、静岡市内から大崩海岸沿いを通り焼津へ至り、さらにその先を海沿いに牧之原市相良・浜松へと向かう道路でした。

同様の路線は古くからあり、たとえば江戸時代には紀州街道と呼ばれた駿府・相良間を結ぶ道がありました。また、明治初期には静浜街道(池谷街道)という私設の有料道路が整備されました。整備されたとはいえ大崩には徒歩以外通りようもない難所が3km以上続いていたのですが、それにも関わらず行商などのためによく利用されたといいます。

大正9年(1920年)に出された静岡県告示第119号で、県道静岡川崎線の路線が認定されます。川崎というのは現在の牧之原市静波付近で、榛原郡吉田町・焼津市・静岡市駿河区用宗付近を通って、静岡市へと至る路線が計画されました。この経過地からもわかるとおり、県道静岡川崎線は国道150号の前身です。この道路が完成したことにより、大崩では初めて自動車での通行が可能になりました。

県道静岡川崎線の工事は大崩付近では焼津側から進められ、まず最初に作られたのが瀬戸川の当目橋、続いて花沢川の当目橋が完成します。昭和9年(1934年)には当目隧道・小浜隧道が完成し、これ以降焼津側から海岸沿いの小浜集落(元小浜)までは自動車の通行が可能になったものと見られます。最後に静岡側の石部隧道が完成したのは昭和18年(1943)のことでした。

参考文献
焼津市誌編纂委員会編『焼津市誌』上巻、1955年
ふるさと東益津誌編集委員会編『ふるさと東益津誌』東部コミュニティ推進協議会、1982年
五月会静岡県静岡土木事務所編『静岡県の土木史』1985年
若林淳之監修『定本静岡県の街道』郷土出版社、1990年
焼津市史編さん委員会編『焼津市史』民俗編、2007年
japan.road.jp道路法令集 静岡県告示第119号
静岡県/島田土木事務所/主要事業のいま3-1 二級河川 石脇川 広域河川改修事業 (焼津市中港)(PDF)
山さ行がねが:静岡県道416号静岡焼津線 大崩海岸 (旧・国道150号)