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静岡県道416号静岡焼津線あづまはし

旧国道150号わきの路面に埋め込まれた2枚の銘板、橋はいったいどこに?

あづまはし

あづまはし

あづまはし、銘板アップ

路面の銘板

あづまはし、西側から

西側から

あづまはし、東側から

東側から

解説
位置図

現場は、焼津市焼津6丁目と本町4丁目の境にある、静岡県道416号静岡焼津線と市道が交わる交差点。この交差点の西側の路面に、2枚の銘板が埋め込まれています。あるのは銘板だけで、「あづまはし」と刻まれているものの、橋らしきものは見当たりません。それに、橋があったとしても普通は路面に銘板を埋めたりはしませんし、なぜここにこのようなものがあるのか、なんとも不可解です。

ここに交差している市道は幅4mほどで、狭いながらも一応2車線にわけられおり、南側1車線分が水路にコンクリートでふたをした暗渠の上を通っています。暗渠となった水路は、市道沿いに県道をくぐって、西から東へと流れています。2枚の銘板は、この水路を挟んで、右岸縁と左岸縁に設置されています。

銘板はいずれも石造で、横10cm・縦20cmほど。暗渠の左岸縁に「あづまはし」、右岸縁に「昭和三十三年一月竣工」と刻まれたものが設置されています。暗渠の左岸縁が市道の中央付近にあたるため、「あづまはし」の銘板は市道ど真ん中の路面に埋め込まれた状態になっています。橋名の「あづま」は「東」か「吾妻」でしょうか。漢字が記された銘板が残っていないか付近を探してみましたが、見つかりませんでした。

この2枚の銘板は、本来は橋の欄干などに付属するものだったはずです。おそらく、現在は暗渠になっている水路を県道が渡る地点に架かっていた橋が、あづまはしだったのでしょう。水路の暗渠化に伴い、不要になった欄干などを撤去して、現在のような状況が生まれたのではないでしょうか。

それにしても、なぜここに銘板だけ残したのでしょうか。県道に交差する同規模の暗渠をいくつか見てまわりましたが、他所では同様のものは見つかりませんでした。橋が撤去された跡に欄干がガードレール代わりに残されているような例は珍しくありませんが[1]、ここでは銘板をわざわざ欄干からはずして路面に埋めるという手間をかけているわけで、なにか特別な理由があってのことだったのではないかと思われます。考えられそうな仮説としては、あづまはしの銘板が残る路面の下には橋がそのまま残っているのかもしれず、維持管理用に残しておく意義があるのかもしれません。

地図と空中写真から「あづまはし」を探してみる
あづまはし周辺空中写真

あづまはし周辺の空中写真(昭和21年・昭和37年)
国土地理院空中写真 USA-M85A-6-91MCB627-C4B-10 をもとに作成

マウスカーソルONもしくはタップで画像切り替え(要Javascript)

あづまはしの銘板がある交差点を南北に通る静岡県道416号静岡焼津線は、平成17年(2005年)まで国道150号だった道路です[2]。その建設が始まったのは戦後のことで、焼津市内では昭和30年(1955年)ごろから工事が進められ、大井川に架かる富士見橋まで道がつながったのは昭和41年(1966年)ごろでした[3]

太平洋戦争終結後すぐの昭和21年(1946年)に撮影された国土地理院空中写真【USA-M85A-6-91】では、あづまはしがある地点は交差点ではなく、現在は県道416号によって東西に分断されている市道が1本につながっています。その南沿いに、まだ暗渠になっていない水路が流れているらしいのが見えます。このころは国道も指定される前で、その前身である県道静岡川崎線が、将来あずまはしが架設される地点の西方を通っています。

昭和30年(1955年)に発行された『焼津市誌』上巻[4]によると、県道静岡川崎線は昭和28年(1953年)に二級国道静岡浜松線に指定されました。同書編纂時にはその新線が建設中で、市北部の瀬戸川畔から駅前通り(現県道31号)との交差点までの区間が完成していました。昭和34年(1959年)の空中写真【CB594YZ-A27A-43】では、その先の焼津水産高校付近まで工事が進んでいる様子が見えます。この新線が後の国道150号であり、現在の県道416号です。

あづまはしがある交差点は、この昭和30年から昭和34年に工事された区間の中ほどにあります。前述のように、元々東西につながる市道があったところに、南進する国道が割って入って交差点ができました。あづまはしが竣工した昭和33年(1958年)1月というのは、おそらくこの付近の国道が開通した時でもあったと推測されます。

静岡県道416号赤塚橋

県道416号赤塚橋

静岡県道416号南赤塚橋

県道416号南赤塚橋

南赤塚橋、銘板

南赤塚橋の銘板

竣工当時のあづまはしは、どのような姿だったのでしょうか。もし欄干があったのだとしたら、すぐ近くにあり竣工時期も近い、赤塚橋【地図】や南赤塚橋【地図】(どちらも昭和34年3月竣工)と似たものだったと推測されます。この二つの橋とあづまはしの銘板を見比べると、「あ」の縦棒の傾き具合がよく似ているのです。南赤塚橋には施工者を示した銘板もあり、それによれば「施工 株式会社堀江建設」とのこと。もしかしたら、この三つの橋は、いずれも堀江建設によって架設されたのかもしれません。

なお、昭和34年発行の住宅明細図[5]には、あづまはしがあったはずの交差点付近に橋や水路は描かれていません。周辺のもっと細い水路は記載されているのに、なぜなのでしょう。昭和37年(1962年)の空中写真【MCB627-C4B-10】には不鮮明ながら水路が写っているように見えるので、橋や水路が存在しなかったわけではないと思うのですが、よほど存在感がなかったのでしょうか。

その後、昭和51年(1976年)の空中写真【CCB7532-C18-15】には水路が見えません。これが見間違いでなければ、水路が暗渠化してから現在まで、少なくとも40年は経っていることになります。市道中央に埋め込まれているほうの銘板は、ここを通る自動車のタイヤに踏まれまくっていると思われるのですが、それにしては状態が悪くありません。そのため、埋め込まれてからそう日が経っていないのではないかと、私は考えていました。これはまったくの見込み違いだったようです。市道を入っていった先は住宅地で道幅も狭いので、交通量が少ないのかもしれません。

周辺情報から探れなかった「あづま」

ところで、先にあげた昭和34年の住宅明細図には、開通したばかりの国道新線に「宮崎町通り」とキャプションがついており、どうやら宮崎町というのが当時のこの付近の町名だったようです。銘板がある交差点から市道を西へ進んで突き当たるT字路の道は、焼津水産高校前に通じる「水校通り」と呼ばれる道で、国道開通前は商店や飲食店が建ち並ぶメインストリートというべき道だったそうです。国道の東には浅草通り・昭和通りといった繁華街が広がっており、あづまはしが竣工した昭和30年代には、この一帯は大変な賑わいの中にあったのではないでしょうか。

あづまはしの下を流れる水路は名称不明で、そもそも名のあるような立派な川ではなかった可能性が高そうです。その下流は東方に向かい、昭和通り沿いにある浜ノ堀緑地を通って、浜通りを流れる堀川にそそいでいるようです。浜ノ堀緑地は、その名のとおりかつては堀だった場所で、現在も地下に暗渠となった水路が流れています。ただ、この堀が浜ノ堀と呼ばれていたかどうかは、確認できていません。

こういった周辺の情報から、あづまはしの「あづま」の由来が判明しないかなーと思ったのですが、さっぱり思い浮かびませんでした。そもそもどんな漢字を当てるのかすらもわかっていないわけですが、方角の東なら「ひがしはし」になりそうなものですよね。なので、川の名前か地名かと考えたのですが。

ちなみに、あづまはし西にある貞善院のあたりの戦前の地名は焼津町焼津小字南屋敷で、そこからやや北に進んだ普門寺付近は小字北屋敷だったそうです[6]。もっと西に行った焼津神社付近が小字宮ノ腰で[7]、後の宮崎町は焼津神社に関連してつけられた名ではないかと思うのですが、あづまはしの名前とは関係がなさそうです。

えーと、ことのついでに余談ですが、実は当初、市道側にある暗渠のふたがあづまはしだという可能性も考えていました。銘板が埋め込まれている場所が、暗渠のふたの端にかかっているような、いないような、ビミョウな位置なのです。つまり、銘板は暗渠のふたに設置されているようにも見えるということです。とはいっても、どう見てもふたはふたであり、これを橋と呼ぶ可能性はないに等しいだろうと判断したわけですが、どんなものでしょう。

脚注

  1. たとえば「みちくさ学会 : 暗渠に架かる橋−大正13年に架けられた4つの橋跡を巡る−」など
  2. 「広報やいづ」平成17年1月15日号、静岡県焼津市役所、p.4 (PDF
  3. もっとも遅く開通した栃山川橋は、銘板によれば昭和41年(1966年)9月竣工。同年の国土地理院空中写真MCB663X-C6-15MCB664X-C1-31MCB664X-C2-29も参照のこと。
  4. 焼津市誌編纂委員会編『焼津市誌』上巻、1955年、pp.414-417
  5. 関東明細地図編集社編『漁都焼津市明細図1959-昭和通り名店街庇完成記念』関東明細地図編集社、1959年
  6. 静岡県志太郡役所編『静岡県志太郡誌』1916年、p.1277(国立国会図書館デジタルコレクション
  7. 同上、p.1228(国立国会図書館デジタルコレクション