うすんばあさん(姥神様)

子供の咳病平癒に霊験あらたかとされた巨岩と黒松

うすんばあさん

うすんばあさん(姥神様)

うすんばあさん、説明看板

説明看板

うすんばあさん、御神体と御神木

うすんばあさんと御神木の黒松

解説

姥神様の祠の後ろに大きなくぼみがある岩が鎮座しており、そのかたわらに石祠と杉と黒松が立っています。この岩が姥神様こと「うすんばあさん」の御神体で、黒松は2代目の御神木です。うすんばあさんとは、「臼のばあさん」が訛ったもので、岩のくぼんだ形が臼に似ているためそう呼ばれていました。江戸時代に編まれた『駿河記』などには「臼祖母巌」として取り上げられています。

元は現在調整池となっている烏帽子山北側の山沿いにありましたが、昭和50年(1975年)頃に始まった駿河台の宅地造成のため現在地に移転しました。旧地にあった頃には、先代の御神木黒松が岩をまたいで生えており、これらを一体のものとして祀っていたそうです。また、この前に「姥の鏡田」という清水が湧く水田がありました。

旧地にあった先代の御神木黒松は、樹齢350年以上・樹高21mほどという立派なものでしたが、戦後間もなく火災にあい被害を受けてしまったそうです。現在地に移転する際に先代御神木の一部をとって移したものが、現在の御神木です。

うすんばあさんは子供の咳に霊験があるとされ、足蹴にする者があれば必ず瘧疾(熱病)を患うともいわれていました。かつては多くの参詣者があり、近隣だけでなく遠州からわざわざ訪れる人もいたそうです。満願のお礼参りには竹筒に入れた酒を供えました。例祭日は4月3日とのことです。

うすんばあさんが咳にご利益があるとされた由来は不明ですが、『駿河記』には「其形人の口を開きたるに似たり」とあり、案外そんなところから連想されてご利益が生まれたのかもしれないと想像しました。

説明看板によると、旧地は調整池のほとりにそのまま残っているということです。しかし、調整池へ下りる道が封鎖されているため、おそらく立入禁止と思われます。なお、昭和59年(1984年)発行のゼンリン住宅地図には、この調整池に「姥ヶ池」というキャプションが付いていました。

説明看板の設置者が瀬戸新屋町内会なのは、うすんばあさんの旧地が元は瀬戸新屋地内だったためと思われます。現在も南駿河台の南側に瀬戸新屋の飛地がありますが、昭和の初め頃には現・緑の丘付近と烏帽子山の東麓から富洞院あたりまでが瀬戸新屋に含まれていました。

参考文献
桑原藤泰『駿河記』上巻、足立鍬太郎校訂、加藤弘造出版、1932年(国立国会図書館デジタル化資料
安倍正信『駿国雑志』4冊(自巻之二十四上至巻之三十)、吉見書店、1910年(近代デジタルライブラリー
静岡県志太郡役所編『静岡県志太郡誌』1916年(国立国会図書館デジタル化資料
静岡県志太郡青島町編『青島町誌』1930年(近代デジタルライブラリー
国土交通省国土情報ウェブマッピングシステム

最終更新:2013年12月15日 ページ作成:2013年12月15日