三ケ名の元メインストリート?国道150号の裏手に残された道標
銘文 |
北(奥)に花沢山が見える |
三ケ名の神明宮東側から福昌院西側に延びる道沿いに、この道標が建っています。建立時期は不明ですが、道標の状態などから戦前に建立されたものと推測しました。この付近一帯の街並みは、戦前の耕地整理や戦後の区画整理などを経て、道標建立時から大きく変化しているはずです。しかし道標があるT字路自体は明治22年の地図にも確認できたため、この場所が当初からの建立地だろうと考えました。
過去の地図や航空写真を参照すると、道標付近は古くから人家が集まる場所でした。道標前を南北に通る道筋も同じく古くからあったもので、これに沿って神明宮・不動院・福昌院と社寺が並んでおり、この道は三ケ名のメインストリート的存在だったのかもしれません。この南北の道から道標前で東へ分岐する道は、元は小川の縦小路までつながっていました。小川といえば古くからの繁華地であり、この道筋の往時の人通りは相応にあったものとうかがわれます。
道標表面に刻まれた「左・右」は、右が北で左が南になります。“右 藤枝”は北へ行くと藤枝というわけですが、道標が戦前の作という推測にのっとると、これは元の藤枝町(現・藤枝市大手付近)のことを指していると考えられます。道標前の道を北へ行くと、現在と同じく神明宮脇を通って、焼津へ向かう道(現・県道222号)に接続していました。藤枝に行くには、この道中で西に折れて今の西焼津方面を目指したと思われ、その先には大手へ向かう道(現・県道224号)がありました。
“左 大富”は現在の焼津市大富地区、元の大富村のことで、村役場は大富中学校近くにありました。道標のある三ケ名は旧・豊田村に属し、南接する大住からが大富地区になります。南へは現在は国道150号に突き当たって途切れていますが、以前は黒石川岸まで行くことができました。そこから上流方向に道を辿ると、豊田村役場と大富村役場をつなぐ道(現・県道224号)に出ます。
道標右面の“左 小川城”というのは、焼津市西小川にあった中世の屋敷跡で、法永長者屋敷という名でも知られており、現在は西小川5丁目の自転車・歩行者道沿いに遺跡を示す石碑と説明看板が建っています。今でも道標から左(東)に行けば小川城付近に出ますが、昭和30年代頃までの道は小川城の南沿いを通って現・東小川の縦小路につながっていました。この道を行けば、小川の町へはもちろんのこと、その先の焼津の港まで行くこともできました。
ところで、小川城遺跡の西側には「西小路」という地名があったそうで、現在は遺跡近くにある西小路公園にその名を残しています。で、前述のように道標が“左”と示す道は小川城から西へ向かう道だったわけです。もしかしたらこの道が「西小路」だったのかな?と考えたわけですが、現存する「西小路」はあくまでも地名であり、そもそもそう呼ばれた道があったのかどうかも確認できていません。