青島村初代村長・青地雄太郎の来歴と功績を伝える碑
銘文 |
隣にあるのは青島小学校跡碑 |
青地雄太郎は、志太郡前島村(現・藤枝市前島)出身の政治家です。若くして志太郡青島村初代村長となり、村政に心血を注ぎ、地域の発展に大きく寄与しました。
青地雄太郎は学業を終えたばかりの21歳の時に、前島に官設東海道鉄道の停車場(駅)を誘致すべく活動し、成功します。明治22年(1889年)に藤枝駅が開業し、そこに集まる人や物が地域を大きく発展させていきます。こうした中、誕生したばかりの青島村村長に就任したのが、わずか24歳の青地雄太郎でした。
志太郡青島村は、明治22年(1889年)4月1日に、それまであった上青島村・下青島村・久兵衛市右衛門請新田・内瀬戸村・瀬戸新屋村・水上村・前島村・青木村・南新屋村・志太村および稲川村の一部が合併してできました。『青島町誌』によると、旧11村が一つにまとまるまでには苦労もあったようです。青地村長は若い身ながら“隠忍自重能く衆議を纏め常に協力一致の美風を作興して”、自治体としての基礎を強固にしていきました。
青地雄太郎は村長を10年間務め、村役場・学校の設置や道路網の整備を行って地域の基盤をつくり、銀行や運送会社の創設などを通して産業の振興を図り、地域の発展を支える多くの功績を残しました。碑に曰く、“当町今日ノ繁栄ハ実ニ君ガ先見ノ明アル施設計画ニ負フトコロ多シ”。こうしてつくられていった青島村の姿は、現在の青島地区の基礎ともなっています。
『藤枝駅と青島』によると、この頌徳碑は元は青島町役場前にあったもので、区画整理のために現在地に移転したとのことです。青島町役場は、現在藤枝市文化センターが建っている場所(藤枝市駅前2丁目1-5)にありました。
現在碑が建っている藤枝市武道館は、元は青島小学校があった場所です。青島村の初代村役場はこの西側にあり、明治39年(1906年)に現・文化センターの場所に移転するまで使用されました。青地雄太郎が村長として勤務したのは、この初代青島村役場です。
碑文・資料などからまとめた青地雄太郎の略歴は以下のとおりです。