現在の静岡県道222号上青島焼津線、志太郡の東西を結ぶ枢要の道路の開通記念碑
左の建物が鏡池堂 |
静岡県道222号上青島焼津線 |
銘文 |
府県道島田焼津線は、現在の静岡県道222号上青島焼津線の前身です。東海道本線五ケ堀踏切付近に旧道となった部分がある(焼津市五ケ堀之内、地図では旧道に青島焼津街道の表示あり)以外は、県道222号とほぼ同じ場所を通っていたようです。
県道島田焼津線は、東海道の宿場があった島田と焼津・城之腰の港を結ぶ道路です。この路線には古くは城之腰街道もしくは浜街道などと呼ばれた細く屈曲した道があり、江戸時代には年貢米を載せた荷車がこの道を通って焼津港へ向かったといいます。明治に始まった自動車交通に対応するため、大正12年(1923年)に沿線町村で浜街道を改修することが決定し、昭和6年(1931年)県道島田焼津線が開通しました。
島田焼津線の起点は島田町(現・島田市)となっていましたが、起点から青島町(現・藤枝市)下青島までは国道1号を重用。開通之碑が建っている瀬戸新屋が実質的な起点で、鏡池堂西側で国道1号を分岐、終点焼津町(現・焼津市)城之腰までをつないでいました。
国道重用区間を除いた延長1里35町20間(約7.78km)、幅員3間(5.45m)。この道路が開通したことによって島田町・青島町・焼津町間の交通が非常に便利になったといいます。県道222号となった現在でも交通量が非常に多く、碑にある“本道路ノ使命ハ将来益重要ナリト云フベシ”の一文のとおりになりました。
なお、国道1号は昭和32年(1957年)に上青島一里山以東に新道が開通し、青島地区の旧来の国道1号はほとんど旧道になりました。この旧国1の上青島一里山から瀬戸新屋鏡池堂までと、それに続く県道島田焼津線とを合わせたものが、現在の県道222号となっています。
碑の内容に加え参考文献から補完した開通までの経緯は以下のとおりです。
なお、碑の建立日の中秋というのが旧暦8月15日という意味なら、新暦では1935年9月12日にあたります。