静岡県道31号焼津榛原線 新並橋

なぜそこだけ残すのか?欄干が撤去されたあとに残る親柱のナゾ

静岡県道31号焼津榛原線新並橋

静岡県道31号焼津榛原線 新並橋

新並橋、親柱

親柱

新並橋、南西側から

南西側から見た図

解説

新並橋は、静岡県道31号焼津榛原線の、田尻バス停近くの市道との交差点にあります。橋といっても、現在地上に見えるのは橋の北端で道を挟んでいた2本の親柱のみで、市道沿いに流れる水路は交差点付近では暗渠化されています。

2本の親柱のうち西側の柱には「昭和丗一年三月」、東側の柱には「新並橋(正確には橋の高がはしごの高)」と刻んだ銘板が取り付けられています。新並橋が建設されたのは昭和31年(1956年)3月というわけですが、現状のように親柱1対を残して欄干を撤去したのがいつなのかは不明です。暗渠のふたの様子などからすると、そう最近のことではなさそうに見えました。また、昭和51年(1976年)撮影の空中写真【CCB7533-C3B-24】ではすでに暗渠化されているように見えるのですが、どんなものでしょう。

残された親柱は、現状ではガードレール代わりになっているように見えますが、そのために残したというわけではなさそうです。見た感じ、新並橋は欄干を撤去した上からアスファルトで覆っただけで、路面下には橋がそのまま残っているようです。ここに橋があるということを示すために親柱を残してあるのでしょうか。あるいは、同じ焼津市内の県道では銘板だけ路面に埋め込んで残している例もあり(静岡県道416号静岡焼津線あずまはし)、もしかしたら県道の橋梁には名前と竣工年を書いたものを必ず設置するとかそういうルールがあるのかもしれません。

田尻上簡易水道組合が管理維持している井戸水

田尻上簡易水道組合の井戸水

田尻上簡易水道組合が管理維持している井戸水、持ち帰りOK

持ち帰りOK

橋の名前の「新並」とは、この付近の小地名(小字)です[1]。橋の下の水路は、県道西方にある泉竜寺(焼津市田尻321)の北沿いから流れてきているようです。この泉竜寺の西、和田郵便局の東隣に、「田尻上簡易水道組合が管理維持している井戸水」という施設があります。水が出しっぱなしになっていて、無料で好きなだけ持ち帰ってよいという太っ腹な施設なのですが、ここが新並橋の水路の水源のひとつでしょうか。

脚注