大村新田の川除地蔵

頭の脇の謎の穴が気になる地蔵座像

大村新田の川除地蔵

大村新田の川除地蔵

大村新田の川除地蔵

光背に大きな穴が

大村新田の川除地蔵、銘

左側の銘

解説

光背を背負った半跏像で、光背に「明和二酉天、六月二十四日」、地蔵が腰掛ける台座部分に「大村新田」とあります。また、光背の向かって右側、地蔵の頭の脇にかなり目立つ穴が開いていますが、単なる欠けでしょうか。2013年3月に訪れた際には、地蔵の周りに、供養(お祭り)の際に建てたと思われる竹を組んだものが残っていました。

『焼津市史』によると、この地蔵は川除地蔵と呼ばれており、瀬戸川から田に用水を引き込むための水門付近に祀られていたとのことです。

ところで、この地蔵は、『焼津市史』下巻 pp.118-119 表I-4「瀬戸川沿岸の神仏一覧」の17番だと思うのですが(銘が一致)、同ページ掲載の地図(図I-17)では現在実際に地蔵が安置されている場所とはだいぶ離れた場所にあったと記載されています。具体的には、現在地より上流へ700mほど遡った焼津市大覚寺地内、国道150号新瀬戸川橋と笑子橋の間に17とあります。同書発行後に現在地へ移されたのかもしれませんが、大村新田で祀る地蔵の設置場所が大覚寺ということがあるだろうかという疑問もあり、個人的には図の記載位置が誤っている可能性が高そうだと考えています。

なお、前述地図上で17とある付近の瀬戸川堤防上には、実際には「頭がない地蔵立像2体」(おそらく表I-4の15番)が並んで建っています。

参考文献
焼津市史編さん委員会編『焼津市史』民俗編、2007年
瀬戸川堤防の石仏:大村新田(右岸35)