碑データ
- 碑の内容
- 碑表:東海道一里塚蹟 江戸より五十里
- 碑裏:[なし]
- 碑右:山岸紀弥書
- 碑左:平成六年十一月三日 青島史蹟保存会
- 看板:(1)志太一里塚蹟 [本文略] 平成十年五月青島史蹟保存会
- 石碑建立時期:1994年(平成6年)11月3日
- 説明看板設置時期:1998年(平成10年)5月
- 建立者:青島史蹟保存会
- 所在地:静岡県藤枝市志太3丁目3 勝草橋公園【地図】
- 最終確認日:2014年8月9日
メモ
瀬戸川勝草橋の志太側たもとに、秋葉神社の常夜灯などとともに並んでたっています。
一里塚とは、大きな道路沿いに1里(約4km)ごとに目印として置かれた塚です。志太の一里塚は江戸時代の東海道に築かれたもので、勝草橋公園南側付近に街道を挟んでふたつ塚があったそうです。『青島町誌』によると明治10年(1877年)ごろまでは残っていたとのこと。その後宅地となって跡形もなくなり、跡地に目印が建てられていたそうです。
江戸時代の東海道は、現在の勝草橋付近で瀬戸川を渡っていました。この一里塚から東へ行くと、川を渡ってすぐに藤枝宿がありました。西へは、青木、瀬戸新屋を通って、島田宿へと向かいます。島田宿への道のりのなかほど、上青島にも一里塚が置かれ、その付近に一里山という地名が残っています。
なお、勝草橋の銘板が取り付けられている街灯の裏側に、勝草橋の歴史を記したプレートが設置されています。それによれば、江戸時代の瀬戸川には橋がなく、大井川と同じような川越制度がしかれていました。通常は歩いて渡ることができましたが、増水時には賃銭を支払って川越人足を頼み、駕籠や蓮台を用いることもあったそうです。
関連資料
- 青島史蹟保存会編『青島の史蹟めぐり』1995年、pp.4-5
- 静岡県志太郡青島町編『青島町誌』1930年、p.155(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 最終更新:2020年02月18日 公開:2013年12月22日