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青島史蹟保存会「田沼街道蹟」(田沼街道終点)

田沼街道蹟(終点)

田沼街道蹟

田沼街道蹟(終点)、説明看板

説明看板

田沼街道蹟(終点)、周辺

右に下りる道が田沼街道跡

碑の内容
  • 石碑の表題は「田沼街道蹟」。小林治助による発願、江崎友次郎の書。
  • 説明看板の表題は「(2) 田沼街道蹟」。
  • 碑の後ろに堤防上の道を挟んで2基の石灯籠が建てられている。建立者・建立時期などは不明。
解説

この碑がある地点は、田沼街道の終点です。青島史蹟保存会が発行した『青島の史蹟めぐり』では、ここから瀬戸川堤防を下り、平安会館西側で軽便鉄道駿遠線跡の歩行者自転車道を横断して車道へ進み、国道1号の下をくぐり、再び出合った歩行者自転車道に合流する道筋が、田沼街道跡とされています。

田沼街道とは、江戸時代中期、相良藩主田沼意次によって整備された、相良城(現・牧之原市相良)と東海道藤枝宿をつなぐ道です。当時大いに栄えていた相良港へ通じる道であり、また沿岸地域で産する塩を瀬戸ノ谷などの山間部へと運ぶ道でもありました。

その経路は、相良城下の萩間川に架かる湊橋を起点に、吉田町小山、焼津市上新田、藤枝市の大洲・高洲・青島地区を通過し、瀬戸川・勝草橋付近で東海道に接続していました。現在の道路では、藤枝市内は県道33号、焼津市から牧之原市にかけては国道150号を通ると、だいたい似たような経路になります。

志太地区内の田沼街道は、現在では昔の道が残っている場所はわずかしかなく、跡を辿るのは難しいです。この終点付近では、明治43年の瀬戸川大洪水であたり一帯が押し流され、その後に耕地整理が行われました。街道跡とされている道もこの時に改めて整備されたもので、江戸時代の道がそのまま残っているわけではありません。古来の道は、現在の道におおよそ沿った形で、緩く蛇行しながら南へと進んだようです。

参考文献
五月会静岡県静岡土木事務所編『静岡県の土木史』1985年
大井川町史編纂委員会編『大井川町史』下巻、1992年
青島史蹟保存会『青島の史蹟めぐり』1995年
第3楽章 藤枝地区での田沼古道 : 田沼古道を歩く