銘文 |
周辺の石仏 |
この墓地の奥にある |
石脇城跡がある城山に南東麓から入り、北側山頂の大日堂へ登る階段の手前の墓地の奥、石仏や無縫塔が集められている場所にあります。
『焼津市史』では、以前は城山の周りを流れる堀川(現石脇川)沿いにあったと思われるが土地改良で現在地に移されたらしい、としています。また、石脇下では「薬売りの八兵衛さん」と呼ばれていたそうで、病除けとして祀られていたものと考えられます。
この八兵衛碑は銘が特徴的で、中央に大きく「小長谷」とあり、その周りに「紀伊國」・「おはせ」などの言葉が配置されています。これまで確認できた碑には「八兵衛」が目立つように配置されたものが多く、このように「小長谷」が一番目立つように配置されているものははじめて見ました。この場合、「小長谷」は八兵衛さんの姓と考えられていたのでしょうか。
城山の南東麓には、古城山全昌院という曹洞宗の寺がありました。弘徳院(浜当目、明治以前は野秋に在)の末寺で、明治維新後に廃寺となり、現在は山上に大日堂が残っています。『焼津市史』によると、全昌院廃止後に檀家は勢岩寺(石脇下)に編入されていたようなのですが、明治30年(1897年)に旧全昌院墓地に復帰し弘徳院を檀那寺としたということです。八兵衛碑が現在安置されているのはこの旧全昌院墓地内です。