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川中島八兵衛

目次
川中島八兵衛とは
川中島八兵衛あれこれ
各地に残る川中島八兵衛碑

川中島八兵衛とは

藤枝市青葉町2丁目の紀伊國川中島小長谷八兵衛

藤枝市青葉町の紀伊國川中島小長谷八兵衛

川のほとりやお寺や墓地の片隅で、お地蔵さんや馬頭観音さんのとなりに、「紀伊国川中島小長谷八兵衛」などと刻んだ墓石のようなものが建っているのを見たことがありますか?それは「八兵衛さん」を祀る石塔です。

八兵衛さんは疫病や水害を除けてくれる存在と信じられています。村とか町内会程度のご近所同士の集団で祀っている場合が多く、祀る方法としては八兵衛碑と呼ばれる石碑をそれぞれの地元に建てるのが一般的なやり方です。「紀伊国川中島小長谷八兵衛」などと刻んだ墓石は、この八兵衛碑だったというわけです。

各地に建てられた八兵衛碑は、現在確認されているかぎりでは90基以上存在します。そのほとんどは旧志太郡内にあり、例外はわずか2例しか見つかっていません。また、大半の碑が明治時代から昭和初期にかけてに建立されています。どうやら八兵衛さんを信仰しているのはほぼ志太郡内のみで、しかしその志太郡内では戦前にはまるでブームでもあったかのようにとても盛んに信仰されていたようです。

さて、その八兵衛さんとは一体どんな人で、どういうわけで人々に信仰されるようになったのでしょうか。実は、これがまったくわかりません。八兵衛さんという人物に関する記録はなにも残っていないし、八兵衛さんを信仰する人々のあいだにも統一見解はありません。また、信仰発祥の地や、信仰がどのように始まりどのように各地に広まっていったのかも、現在ではわからなくなっています。

過去には何人かの研究者が八兵衛さんの正体を探り、それぞれに仮説を立てています。しかし、いまだにはっきりしたことはわかっていません。限られた地域内でのこととはいえ一時はとても大勢の人から信仰を集めていたのに、今ではその信仰の由緒すら定かでないというのは不思議なことです。由緒もわからないのに信仰が続いているというのもまた不思議ですよね。

なんとも不思議な謎めいた八兵衛さん、八兵衛碑に刻まれた銘が本当なら、はるばる紀伊国から志太郡を訪れたということになります。そして、なにか縁があって地元の人々の信仰の対象となり、それは現在に至るまで長く続くことになりました。八兵衛さんと志太郡に住む人々のあいだには、いったいどんな縁があったのでしょうか。

あなたの身近なところにも、もしかしたら八兵衛さんが祀られているかもしれません。あるいは、八兵衛さんのお話や歌を知っている人がいるかもしれません。あなたも不思議な八兵衛さんを探しに出かけてみませんか?そうしてなにかを見つけたら、もしよかったら私にもそれを教えてください!八兵衛さん仲間、募集中です。

川中島八兵衛あれこれ

川中島八兵衛マップ
川中島八兵衛情報掲載資料まとめ
川中島八兵衛参考文献リスト御詠歌(おしょうや)歌詞 掲載資料リスト
八兵衛さんの祀り方
川中島八兵衛の祀り方川中島八兵衛の御詠歌(おしょうや)明治39年の御詠歌写本(2016年8月28日公開)
八兵衛さんの正体を探る
川中島八兵衛とは何者か(2016年7月16日更新)八兵衛の正体を探った人々(2016年7月16日公開)

各地に残る川中島八兵衛碑

碑の建立者に関して、銘や文献から個人名や組織名などが得られない場合は、不明としています。しかし、八兵衛碑の多くはその近隣の人々によって祀られてきたものです。碑が建立当初の場所から大きく移動している場合はその限りではありませんが、原則的には碑の近隣の方によって建てられたものと推測されます。

島田市の八兵衛碑

大草の紀伊国川中島八兵衛之墓
尾川の紀州川中嶋八兵衛
初倉・坂本の紀伊國川中[島?]小長谷八兵[衛?]
島田市の八兵衛碑をもっと見る

藤枝市の八兵衛碑

内瀬戸・某自動車販売店の八兵衛碑
内瀬戸・延命寺の庚申塔の八兵衛碑
高柳・巾溝の西国川中島八兵衛
藤枝市の八兵衛碑をもっと見る

焼津市の八兵衛碑

竜泉寺跡の紀伊國川中嶋八兵衛
中新田北島の西國川中島八兵衛
おはつぼたの西國川中島八郎兵衛
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