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志太の石碑・石仏めぐり

高柳・巾溝の西国川中島八兵衛

七ツ溝川畔から高洲小南へ引っ越しました

西国川中島八兵衛

高柳・巾溝の西国川中島八兵衛

西国川中島八兵衛、銘

西国川中島八兵衛、小堂と庚申塔

小堂と庚申塔

巾溝の庚申塔

巾溝の庚申塔

西国川中島八兵衛、現在地

高州小の南まるせいの向かい

七ツ溝川

旧地の七ツ溝川

碑の内容

明治四未年
西国川中島八兵衛
七月十五日
[確認できず]

解説

高州小学校東側の道路を南へ少し進んだところにあります。向かいにある焼津信用金庫高州支店が目印になるでしょう。

敷地内には庚申塔とお堂があり、お堂の中に八兵衛碑、石仏、厨子が納められています。『高洲史跡めぐり』によると、石仏は弘法大師像、厨子は薬師如来を収めたものです。お堂の外に置かれた庚申塔は、それ自体の銘はまったく判読できないのですが、そばに建てられた角塔婆に「庚申供養塔」とあります。この角塔婆は、高柳巾溝有志一同によって平成25年(2013年)11月21日に建立されたものです。

『高洲史跡めぐり』や「川中島八兵衛の研究」によると、この八兵衛碑が収められたお堂は、元は現在地から270mほど北の杉本工業西側を流れる七ツ溝川沿いに置かれていました(このへん)。旧地付近は現在は民家になっていますが、元は農協の倉庫や駐車場があったのだそうで、その敷地内にお堂が置かれていたようです。農協の土地を整理するにあたってお堂も移設されたということでしょうか。

お堂が現在地に移された時期は不明ですが、おそらく2010年代初頭に行われたものでしょう。2009年発行の『ふるさと高柳』では、所在地が旧地のままになっています。また、2012年撮影のGoogleマップのストリートビューでは、まだ真新しいお堂の姿を確認できます。これらのことから、お堂の移設は2009年から2012年のあいだのことと推測できます。

なお、巾溝の八兵衛碑の建立時期に関して、『高洲史跡めぐり』や『静岡県史』などでは明治40年(1907年)となっていますが、碑には「明治四未年」と刻まれています。明治4年(1871年)の干支は辛未でした。碑銘が間違っているとも思えないので、おそらく正しい建立年は明治4年なのではないでしょうか。

参考文献

  • 静岡県編『静岡県史』資料編24民俗2、1993年、p.1118
  • 杉本春雄『ふるさと高柳』2009年、p.151
  • 高洲地区郷土の歴史愛好会「川中島八兵衛の研究」1994年、p.3 (7)(高洲公民館蔵『郷土の歴史愛好会(1)』収録)
  • 谷澤靖策『高洲史跡めぐり 谷澤靖策スケッチ集』2006年、No.22