八兵衛碑表 |
八兵衛碑左側面 |
おはつぼた、右奥の緑屋根は保育園 |
銘の「郎」の字がよく見えません。もしかしたら「良」かそれに似た別の字が使われているかもしれません。山冠の下に良がある字のようにも見えましたが、ちょっと自信がないです。
「おはつぼた」というのはこの広場の名前です。おはつさんという女性の墓が祀られていることからの命名で、ボタというのは少し小高くなった土地や木が茂った場所のことなどをそう呼びます。このボタには八兵衛碑やおはつさんを祀った墓のほか、庚申塔なども並んでいます。
昭和48年(1973年)に発行された『民俗大井川』という冊子に、このおはつぼたで行われた八兵衛の供養祭の記録が掲載されています。おはつぼたでは、8月15日の朝から八兵衛碑の両脇に竹を立て、夕方には碑の前に地区の人が集まり、僧侶による読経や御詠歌の詠唱が行われたとのこと、このとき唱える御詠歌は、よく知られている八兵衛御詠歌ではなく、西国三十三所の御詠歌だったそうです。
供養祭ではお札が配布され、それには「紀伊國川中嶋八郎兵衛」と刷られていました。碑の銘とお札の文面が一致していない点が興味を引きます。また、碑の脇の竹には施餓鬼旗が結ばれており、これをもらって帰って畑に虫よけとしてさすのだそうです。こういった祭祀方法は施餓鬼供養と共通するもので、かつては他の地区でも同様の施餓鬼風供養を行っていたといいます。