左端が八兵衛さん |
銘文 |
『大井川町史』によると、建立は明治10年(1877年)、元は赤塚川沿いにあったとのこと。赤塚川は貞善院から南へ500mほどの光心寺と鰹節会館の間を流れています。
八兵衛碑の隣に「裸武兵衛さん供養塔」という石碑が並んでいます。裸武兵衛さんとは、岐阜県中津川市などに伝わる昔話の主人公で、中津川では武兵さんと呼ばれているようです。天保のころ中津川宿に住んでいた駕籠かきで、疫病神と約束を交わし疫病を退けるようになり、病人を助けてたいそう評判になったという人です。中津川には今でも武兵さんを祀った石碑があり、疫病除けの神として信仰されているそうです。
どういう経緯でこの武兵衛さんが中津川から遠く離れた焼津に祀られているのかはわからないのですが、同じ病除けの神として八兵衛さんと並べて祀られていたのではないかとは推測できます。逆にいえば、この八兵衛さんのご利益はおそらく病除けだっただろうと考えられます。
最終更新:2014年2月8日 ページ作成:2014年2月8日