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志太の石碑・石仏めぐり

一色浜の西國川中嶋八兵

海辺で祀られる八兵衛さんと無縁仏

西國川中嶋八兵

西國川中嶋八兵

西國川中嶋八兵、新碑と副碑

新碑と副碑

西國川中嶋八兵、旧碑

旧碑と古い無縁塔など

西國川中嶋八兵、由来記碑

由来記碑

碑の内容

現碑
表:西國川中嶋八兵
右:明治三十年七月十六日
裏:昭和五十九年八月 一色浜八兵衛講建之
旧碑
表:西國川中嶋八兵
右:明治三十年七月十六日

解説

海岸の松並木に囲まれて、八兵衛碑とともに馬頭観音・無縁塔などが祀られています。碑の後ろは海です。八兵衛碑は新旧のものがあり、旧碑は敷地後方に下げて置かれています。現在の碑のとなりには、現碑を再建した経緯を記した副碑と、八兵衛についての説明を記した「西国川中島八兵衛さん由来記」の碑が建っています。

副碑によると、一色浜では、明治30年に建てた最初の八兵衛碑が老朽化したため、昭和59年に再建したとのこと。由来記碑には “八兵衛様和讃第六番”などが記されており、非常に興味深い内容となっています。 この碑自体は比較的新しいものですが、『ふるさと大新島の歩み』などの記録から、由来記自体は昭和の終わりごろにはすでに存在していたことがわかっています。いつ、どなたが書かれたものなのか、気になります。

ところで、由来記碑には「左側にある三つの碑は、この付近の海で遭難した人々の無縁仏」と刻まれているのですが、現在では碑や石仏の並び順が少し変わっているようです。現在左側に3基並んでいるうち1つは馬頭観音で、裏面に「道産子馬昭和十九年」などと刻まれており、馬の供養として建立されたものです。由来記のいう海で遭難した人々の無縁仏というのは、馬頭観音の左側の2基と敷地後方に下げられた古い碑のことを指しているのではないか?と私は考えました。

なお、『焼津市誌』によると、一色浜では八兵衛さんは悪疫をさけるとされていて、死人が続いたりいやなことがあると祀るのだそうです。

参考文献