志太の石碑・石仏めぐり

本中根の紀伊国河中島小長谷八兵衛之塚

元は木屋川べりにあった本中根村の八兵衛さん

紀伊国河中島小長谷八兵衛之塚

紀伊国河中島小長谷八兵衛之塚

紀伊国河中島小長谷八兵衛之塚、銘

紀伊国河中島小長谷八兵衛之塚、周辺

土手の上は国道150号

紀伊国河中島小長谷八兵衛之塚、周辺

国道150号から見下ろした図

碑の内容

紀伊国河中島
小長谷八兵衛之塚
昭和四十八年八月
為村内安全 本中根村

解説

現在の本中根の八兵衛碑は昭和48年(1973年)に再建されたもので、元は木屋川沿いのボタにあったといいます[1]

木屋川は昭和31年(1956年)に始まった県営木屋川改良事業によって流路が大きく変更され、これと同時に焼津市南部土地改良事業も始まっています[2]。この影響を受けて碑が現在地に移転することになり、また旧碑が折損したことから現在の碑が新たに建立されたとのことです[1]

折損したという旧碑には、「明治十三年辰七月 []中嶋小長谷八兵衛 村中安全」と刻まれていたそうです[3]。この旧碑を記録した『焼津市誌』の発行時には、安置場所は現在地に移転していました。どうやらこの後、旧碑が破損してしまい、現在の碑を再建することになったようです。じつは現在、碑の後ろにナゾの石材が積まれていて、この中に旧碑が残っていたりしないかなーと思ったのですが、残念ながらそれらしきものは見つかりませんでした。

この八兵衛碑は、本中根南東部の本田地区の人々が祀っているそうです[4]。本中根では八兵衛について “川が出るのでよけて頂く” [3]といっていたそうで、碑に刻まれた「村内安全」には川除けの祈願がこめているようです。なお、『本中根の民俗』に8月16日に行なわれる供養祭の様子が記録されています[5]

ボタとは

本中根の八兵衛碑の旧地は木屋川沿いのボタだったといいます。このボタというのは、周囲より少しだけ土盛りが高くなった土手のような場所のことをそう呼びます。ボタと呼ばれるものが具体的になにを指すかは色々で、川沿いの堤防や、田畑を開墾するときに出た石を積んだ石捨て場、屋敷周りに築いた土手、あるいはただ藪がこんもりと茂っているところなど、周囲から少し高く見える土地であればなんでもボタと呼んでいたようです[6]

ボタの中には墓がおかれたものがあります。地区の人々の墓地である場合もあれば、牛馬など家畜の墓地、不慮の死を遂げた身元不明の死者を葬ったという墓もあります。このうち、身元不明の死者を葬った墓は、祟るといわれたり、逆に祀ればご利益があるといわれることもありました[6]。なかには一時的に大勢の参詣人を集める流行神のような存在になったものもあり、これを『焼津市誌』や『ヤシャンボー』では「はやり墓」と呼称しています。

本中根がある大富地区は、タンボナカと呼ばれた平野部の水田地帯でした[7]。そんな中、わずかでも高くなったボタは、周囲から際立つ特別な場所であり、そのために信仰を集めるようになったという説があります[8]。生業の地である田んぼの中に神仏は置きがたいという事情もあったでしょうが、ともあれ、本中根の八兵衛も元々はそういった神聖なボタの上で祀られていたわけです。

旧地木屋川

最初の節で述べたとおり、木屋川は昭和30年代に流路が大きく変更されています。改修前には本中根中央やや南よりの栃山川に近い場所を流れていた木屋川は、改修後は本中根北端を通るようになりました[9]。本中根の八兵衛碑は、現在では栃山川沿いというべき場所にあります。元は木屋川で祀っていたものを、なぜ安置する川筋を変更したのか不思議だったのですが、それには木屋川のほうが遠ざかってしまったという事情があったようです。

八兵衛碑の後ろに見える国道150号を北東へ200mほど進んだところにある本中根歩道橋付近が、木屋川旧流路にあたります。この周辺には現在もボタ跡らしき地形がいくつか残っています。たとえば、ネッツトヨタの南西にある茶畑などがそうです。旧地と現在地はそう極端に離れてはいないでしょうから、かつて八兵衛が祀られていたのはこの付近ではないかと私は考えています。

関連項目

脚注

  1. 大井川町史編纂委員会編『大井川町史』下巻、1992年、pp.817-818
  2. 焼津市総務部市史編さん室編『焼津市史民俗調査報告書第四集 本中根の民俗』2006年、pp.22,90-91
  3. 焼津市誌編纂委員会編『焼津市誌』下巻、1971年、pp.678-681
  4. 焼津市総務部市史編さん室編『焼津市史民俗調査報告書第四集 本中根の民俗』2006年、p.61
  5. 焼津市総務部市史編さん室編『焼津市史民俗調査報告書第四集 本中根の民俗』2006年、pp.54-55
  6. のら企画編『ヤシャンボー 焼津市南部地区民俗誌』焼津市南部土地区画整理組合、1993年、pp.45-63「大井川平野のボタ」
  7. 焼津市総務部市史編さん室編『焼津市史民俗調査報告書第四集 本中根の民俗』2006年、p.1
  8. のら企画編『ヤシャンボー 焼津市南部地区民俗誌』焼津市南部土地区画整理組合、1993年、p.61
  9. 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス:MCB627-C7-30(1962年撮影)