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志太の石碑・石仏めぐり

築地の紀伊[国川中?]嶋小長谷八兵衛

建立時期は明治17年?明治45年?瀬戸川堤防上に祀られる築地下の八兵衛さん。

紀伊[国川中?]嶋小長谷八兵衛

築地の紀伊[国川中?]嶋小長谷八兵衛

紀伊[国川中?]嶋小長谷八兵衛、銘

紀伊[国川中?]嶋小長谷八兵衛、築地中地蔵尊祠堂

左端が八兵衛碑

紀伊[国川中?]嶋小長谷八兵衛、周辺

築地中地蔵尊祠堂

碑の内容

碑表
當[邑?][以下読めず]
紀伊[国川中?]嶋小長谷八兵衛
[読めず]

解説

小さなお堂の中に地蔵や庚申塔などとともに祀られています。堂内の掲示物によると、このお堂は「築地中地蔵尊祠堂」というようです。

八兵衛碑は舟形の石でつくられています。赤いよだれかけがかかっていて、その後ろに銘が隠れている部分があります。また、訪問時は堂内が薄暗かったため、銘が見えづらい状態でした。お堂を開けてもらわないと見えなさそうなので、いつかお世話をしている方が見つかったらお願いしてみます。

この八兵衛碑が安置されているあたりは、かつては築地下村の範囲内でした。『大富村史』によると、築地下では八兵衛を「川守様」としていたといいます。これはおそらくこの築地の八兵衛碑のことと考えられます。川守様、つまり、川除け・水害除けとして祀られていたということです。この近くには同じく川除けに霊験があるとされる道祖神も祀られており、この地が水害に悩まされてきたことがうかがえます。

建立時期について

この築地の八兵衛碑の建立時期について、明治17年(1884年)とする資料と、明治45年(1912年)とする資料があります。前者は『山西の特殊信仰』で、後者は『静岡県史』や『大井川町史』などです。

『山西の特殊信仰』では、築地中の八兵衛碑は明治17年7月に建立されたもので、自然石に「紀伊国川中島小長谷八兵ヱ」と銘が刻まれていたとされています。同書では本来は「八兵衛」と書くところをすべて「八兵ヱ」と表記しているので、正しい銘は「紀伊国川中島小長谷八兵衛」でしょうか。当時は8月16日に築地中寺組と二軒屋組によって供養が行われていたそうです。

『静岡県史』と『大井川町史』では、築地の西高橋右岸下流側堤防上に、明治45年に建立された八兵衛碑があったとしています。碑の形式は墓状で、「紀伊国川中島小長谷八兵衛」もしくは「川中島八兵衛」と銘があったとのこと。

所在地や銘などの情報を照らし合わせると、このどちらともが、このページで紹介している築地の八兵衛碑と同一のものと考えられます。ここに碑が1基しか存在しない以上、どちらかの情報が間違っているのでしょうが、現物の建立年代が確認できていない現状ではどちらが正しいとも判断しがたいです。あるいは実は現存しないもう1基が存在したという可能性もわずかながら考えられるでしょうか。

参考文献

  • 大井川町史編纂委員会編『大井川町史』下巻、1992年、pp.807-814
  • 大富村編『大富村史』1981年、p.205
  • 大房暁『山西の特殊信仰(西駿曹洞宗史)』久遠山成道寺、1961年、p.24
  • 静岡県編『静岡県史』資料編24民俗2、1993年、p.1117