志太の石碑・石仏めぐり

築地上の紀伊國川中嶋小長谷八兵衛墓

内瀬戸谷川沿いに祀られる築地上の八兵衛さん

紀伊國川中嶋小長谷八兵衛墓

築地上の紀伊國川中嶋小長谷八兵衛墓

紀伊國川中嶋小長谷八兵衛墓、銘

紀伊國川中嶋小長谷八兵衛墓、周辺

左側が内瀬戸谷川

碑の内容

碑表
紀伊國
川中嶋小長谷八兵衛墓
右側面
明治十二年
七月建立
左側面
村中安全

解説

碑の形状はおおまかには墓型ですが、てっぺんが切妻屋根のごとく山形をしているのが特徴的です。碑表の一番下の「墓」の字の部分が欠け落ちつつあり、早晩読めなくなりそうです。また、右側面の「七月」の上になにか文字がありそうな気がするのですが、読めませんでした。干支だとしたら明治12年は己卯ですが、ちょっと違いそうに見えました。

『高洲史跡めぐり』によると、この八兵衛碑が安置されている場所は「向い河原」と呼ばれてきた場所で、築地上村の共同墓地として使われてきたとのことです。築地上村は江戸時代の志太郡に存在した村で、現在の藤枝市築地上と小石川町の一部と高柳の東海道本線沿い付近がその範囲に含まれました。明治22年(1889年)の町村制施行時に周辺の村々と合併して高洲村の一部になっています。

参考文献

  • 谷澤靖策『高洲史跡めぐり 谷澤靖策スケッチ集』2006年、No.1「築地 西向き地蔵」