銘文 |
堂の様子 |
栃山川堤防上の堂の中に、西国三十三所碑(巡拝塔)1基と地蔵2体とともに祀られています。地蔵のうち1体はいぼ地蔵なのだそうです。
現在の八兵衛碑は昭和63年に再建されたもので、それ以前の碑は明治11年(1878年)7月に講中によって建立されたと碑に刻されています。
講とは、同じ信仰を持つ人が集まって宗教行事などを行う集団のことです。たとえば、志太地区にもよく見られた庚申講は、ごく近所の人々が集まって組織し、持ち回りで当番を決めて庚申待ちを行うなど、共同で行事を行う集団でした。この八兵衛さんも同様の講を作って祀っていたのでしょうか。
堂内に仏像のレプリカや人形などが多数そえられていました。こういったものはほかの場所でも見たことがあり、たぶん、お供え物として捉えたらよいものなのだと思います。石仏の前には土団子らしきものも供えられていました。
最終更新:2014年2月15日 ページ作成:2014年2月15日