碑正面 |
碑左下の文字 |
三昧所のお堂と八兵衛碑 |
現状読み取れるのは「嶋八兵衛之墓」という文字だけですが、碑の頭部に大きく欠けたらしい跡があり、その失われた部分に「川中」の字があったのではないかと思われます。
碑左端の文字は、『静岡県史』には「村中安全」とありますが、私には「村内安全」と見えたので、一応見たとおりを書いておきます。また、この上にも文字のような線が見えました。私が訪れた時は逆光だったため文字が非常に読み取りづらかったのですが、日の当たり具合が良ければもう少しはっきりと見ることができそうです。
現在この八兵衛碑が祀られているのは「三昧所」というお堂がある墓地ですが、『静岡県史』などによると以前は墓地北西の伊太谷川・八六橋南東の住宅地内に安置されていたそうです(このへん)。現在の旧地付近はごく普通の住宅地で、往時をしのばせるものはありません。国土地理院空中写真「USA-M85A-6-210」[1]で旧地のようすを見てみると、伊太谷川旧流路沿いに家が何軒か集まった小さな集落の川に面したところが、八兵衛碑が安置されていた場所だったようです。