旧地名 五反堀

旧地名 五反堀

旧地名 五反堀

旧地名 五反堀、標柱

説明は読めなくなっている

旧地名 五反堀、周辺

周辺の様子

解説

堀というと水路でもあったのかと思いましたが、そういうわけではなく、あくまでもこの一帯の地名が「五反堀」とのこと。昔の空中写真ではこの場所に目立った水路や川は確認できません。現在標柱が建っている畑の脇を水路が流れていますが、これは戦後の土地改良時に掘られたもので、古い地名とは関係がないようです。 *1

なお、『さかもと今昔』によると、この場所は元は共同開墾地で、慶長9年(1604年)に行われた検地では畑と記録されているそうです。

*1:『ふるさと東益津誌』p.101 中段の写真「昭和36年11月25日杭打測量開始」が五反堀付近の水路をつくっているところを写したもののようで、Googleマップのストリートビューでこの写真に近い風景を確認できます。土地改良事業については同書 pp.65, 99-102 を参照のこと。
参考文献
ふるさと東益津誌編集委員会編『ふるさと東益津誌』東部コミュニティ推進協議会、1982年
天野正義・笠原清・村松益男・山村昌生編『さかもと今昔』1994年
国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス:USA-M300-A-3I-4(1946年撮影)