標柱 |
後ろは高草川と新坂本橋 |
「坂本地区案内図」看板 |
標柱に記された説明によると、五反田は“共同開墾地の割地(田)からの名称”とのこと。1区画5反に区切られた田が並んでいたということだと思われます。
五反田の標柱は「坂本地区案内図」という大きな地図看板の足元に建っています。この地図は坂本村づくり推進協議会が昭和61年(1986年)3月に作成したもので、看板を設置したのは焼津市のようです。
標柱のそばにある新坂本橋の下流側すぐ隣に前ノ田橋が架かっており、『ふるさと東益津誌』や『さかもと今昔』によればこの「前ノ田」はこの付近の地名から採用されたものです。坂本の昔からの集落は高草山の麓沿いにあって、南部の平野は水田として利用されていました。想像するに、このあたりが集落の「前の田」であり、ここから朝比奈川の畔まで一面の田んぼが続いていたのでしょう。航空写真などを見ると、昭和40年代前半頃まではそのような風景が広がっていたようです。
*2014年12月30日に、旧地名標・地図看板ともども撤去されたのを確認しました。