瀬戸川の土手から岡当目を見守る水害除け祈願の馬頭観音
馬頭観音像 |
「大正九年八月」まで見えた |
入江橋から |
『焼津市史』によると「大正九年八月二十四日、新村氏」と銘があるとのこと。元は瀬戸川の河川敷にあったそうで、川除さん・川除地蔵と呼ばれ、川が増水して堤防が破壊されそうな時に拝んだらわずかな災難ですんだという言い伝えがあるそうです。
瀬戸川とその支流である朝比奈川は、かつては頻繁に水害を起こす恐ろしい川でした。大雨が降ると急激に増水し、激流となって堤防を破壊し、洪水が周辺地域を襲いました。この馬頭観音があるのは、その瀬戸川と朝比奈川の合流点のすぐそばです。
『焼津市史』によると、岡当目には川除さんと呼ばれる馬頭観音がこのほかに2体あるということです。現在の入江橋よりやや下流にかつて落合橋があり、このたもとから高草山麓へと道がのびていました。3体の川除馬頭観音はいずれもこの道沿いに建っていたそうです。
川除とは、川による災いを除けること、つまり水害を防ぐことを祈願した馬頭観音ということです。路傍の馬頭観音像は馬の供養塔や往来の安全祈願として建てられたものが多く、川除馬頭観音というのは珍しいのではないでしょうか。
『焼津市史』では、往来の安全を守る馬頭観音の信仰が、川沿いのこの地域では道や橋を水害から守るという役割が重視されるようになり、やがて川除地蔵として信仰されるようになったのではないかと考察しています。
すると、これらの川除馬頭観音は最初から川除として建てられたのではなく、後に川除祈願も加わるようになったということなのでしょうか。どういう経緯で馬頭観音に川除祈願をすることになったのか、気になります。
類似例を探したところ、京都府舞鶴市に海難除けの馬頭観音がありました。これは漁師や海運業者などが海上での安全を祈るもののようで、災害を防ぎたいという川除けとは少し意図が異なっているでしょうか。
最終更新:2014年1月12日 ページ作成:2014年1月5日