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青地雄太郎君頌徳碑

青島村初代村長・青地雄太郎の来歴と功績を伝える碑

青地雄太郎君頌徳碑

青地雄太郎君頌徳碑

青地雄太郎君頌徳碑、銘文

銘文

青地雄太郎君頌徳碑、周囲

隣にあるのは青島小学校跡碑

碑の内容
  • 篆額に“青地雄太郎君頌徳之碑”、枢密顧問官従二位勲一等岡田良平の書。
  • 志太郡青島町町長・青島鋼太郎の撰文、一峯夏目義順の書。
  • 裏面に碑建立発起人を記載、建設委員長・青島鋼太郎、建設委員・石川𨨞次郎など33名、ほか29名。賛成者に夏目義順ほか1,112人。
解説

青地雄太郎は、志太郡前島村(現・藤枝市前島)出身の政治家です。若くして志太郡青島村初代村長となり、村政に心血を注ぎ、地域の発展に大きく寄与しました。

青地雄太郎は学業を終えたばかりの21歳の時に、前島に官設東海道鉄道の停車場(駅)を誘致すべく活動し、成功します。明治22年(1889年)に藤枝駅が開業し、そこに集まる人や物が地域を大きく発展させていきます。こうした中、誕生したばかりの青島村村長に就任したのが、わずか24歳の青地雄太郎でした。

志太郡青島村は、明治22年(1889年)4月1日に、それまであった上青島村・下青島村・久兵衛市右衛門請新田・内瀬戸村・瀬戸新屋村・水上村・前島村・青木村・南新屋村・志太村および稲川村の一部が合併してできました。『青島町誌』によると、旧11村が一つにまとまるまでには苦労もあったようです。青地村長は若い身ながら“隠忍自重能く衆議を纏め常に協力一致の美風を作興して”、自治体としての基礎を強固にしていきました。

青地雄太郎は村長を10年間務め、村役場・学校の設置や道路網の整備を行って地域の基盤をつくり、銀行や運送会社の創設などを通して産業の振興を図り、地域の発展を支える多くの功績を残しました。碑に曰く、“当町今日ノ繁栄ハ実ニ君ガ先見ノ明アル施設計画ニ負フトコロ多シ”。こうしてつくられていった青島村の姿は、現在の青島地区の基礎ともなっています。

『藤枝駅と青島』によると、この頌徳碑は元は青島町役場前にあったもので、区画整理のために現在地に移転したとのことです。青島町役場は、現在藤枝市文化センターが建っている場所(藤枝市駅前2丁目1-5)にありました。

現在碑が建っている藤枝市武道館は、元は青島小学校があった場所です。青島村の初代村役場はこの西側にあり、明治39年(1906年)に現・文化センターの場所に移転するまで使用されました。青地雄太郎が村長として勤務したのは、この初代青島村役場です。

青地雄太郎略歴

碑文・資料などからまとめた青地雄太郎の略歴は以下のとおりです。

  • 慶応元年(1865年)5月10日、志太郡前島村(現・藤枝市前島)に青地半三郎長子として生まれる
  • 明治11年(1878年)小学校卒業。その後、有渡郡弥勒町(現・静岡市)の朝陽義塾、小笠郡倉真村(現・掛川市)の冀北学舎で学ぶ。
  • 明治16年(1883年)、東京専門学校(現・早稲田大学)に入学、政治経済科を修める。
  • 明治19年(1886年)7月、東京専門学校を卒業し帰郷。官設東海道鉄道藤枝駅の前島への誘致活動を行う。明治22年(1889年)、東海道鉄道が開通し、前島に藤枝駅が開業。
  • 明治22年(1889年)4月、町村制施行し、前島村など11村を合併した志太郡青島村が成立、その初代村長に当選。村長としての業績に、役場・学校の位置選定、瀬戸谷街道・横須賀街道の開削、隔離病舎の設置、青島実業銀行創設、前島運送合資会社創立、村農会の設置など、多数。また、志太郡町村長会長などの要職を兼務した。
  • 明治32年(1899年)、就任10年目にして村長を辞職。同年、郡制施行され、志太郡の第一次郡会議員に就任。郡参事会員、郡徴兵参事員、所得税調査委員などを務める。
  • 明治35年(1902年)、衆議院議員に当選。以後、明治36年(1903年)・明治37年(1904年)・大正元年(1912年)の4度当選する。初めに大隈重信の立憲改進党(の後身である憲政本党)に属し、次に犬養毅の立憲国民党に属した。国民党では党本部の常任幹事を務めた。
  • 明治二十七八年戦役(日露戦争)の功により勲四等旭日小綬章を授与、大正三四年戦役(第一次世界大戦)の功により勲三等瑞宝章を授与される。
  • 大正4年(1915年)に政治活動から身を引き、以後はもっぱら実業界に活躍する。
  • 大正6年(1917年)、東京電燈株式会社嘱託となる。
  • 大正8年(1919年)、信州電力株式会社嘱託となる。
  • 大正9年(1920年)、飯山鉄道株式会社専務取締役となる。
  • 大正13年(1924年)、信州飯山で発病。
  • 大正15年(1926年)、郷里・前島で永眠。61歳。
関連項目
青地雄太郎と藤枝駅:青地雄太郎先生の像
青地家跡地:青島史蹟保存会「青地雄太郎出生地」
参考文献
静岡県志太郡青島町編『青島町誌』1930年(近代デジタルライブラリー
藤枝市立青島南公民館編『平成8年第6回南風まつり展示 青島の学校』1996年
藤枝市立青島南公民館編『平成11年度第10回青島南風まつり 藤枝駅と青島』2000年
森信勝『静岡県鉄道軌道史』静岡新聞社、2012年
衆議院選挙一覧 | ザ選挙第7回(1902年)第8回(1903)第9回(1904年)第11回(1912年)
瀬戸川流域の歴史:郷土の先駆者達
東京専門学校 (旧制) - Wikipedia