志太の石碑・石仏めぐり

青島史蹟保存会「千貫堤」

千貫堤
千貫堤
千貫堤1
千貫堤の碑と案内板
千貫堤2
千貫堤・瀬戸染飯伝承館
千貫堤3
看板

碑データ

  • 碑の内容
    • 碑表:千貫堤
    • 碑裏:[なし]
    • 碑右:小林良平書
    • 碑左:平成六年十一月三日 青島史蹟保存会
    • 看板:(10) 市指定文化財千貫堤 [本文略] 平成十年五月青島史蹟保存会
  • 石碑建立時期:1994年(平成6年)11月3日
  • 説明看板設置時期:1998年(平成10年)5月
  • 建立者:青島史蹟保存会
  • 所在地:静岡県藤枝市上青島1031石野モータースの向かい【地図
  • 最終確認日:2020年2月10日

メモ

碑の隣りにわかりやすい図付きの案内板が立っています。また、碑が置かれている小道を奥に進んでいくと千貫堤・瀬戸染飯伝承館があり、私が訪れた際には地元の方の詳しい解説を聞くことができました。この伝承館がある小高い土地が、千貫堤の残存部です。

千貫堤というのは、説明板にあるとおり、江戸時代初期の寛永年間、田中藩主水野監物忠善の代[1]に築かれた堤防です。大井川の洪水を抑えるためのものとされ、旧東海道の北側にあった瀬戸山から南の本宮山にかけて、幅29m、高さ3.6mの堤防が3本築かれました。工事に投じられた労銀が千貫にものぼったため、千貫堤(せんがんづつみ)という名がつけられたと伝えられています。

また、瀬戸山の西側にあった丸山とのあいだと、丸山からさらに西の岩田神社の山とのあいだにも、同じようなしめ切り堤がありました。この丸山のしめ切り堤には、山伏塚あるいは清明塚などと呼ばれる場所があって、堤を築いたときに鎮護のため鶏を埋めたから鶏明塚(けいめいづか)とも呼ぶという伝説があったそうです[2]。丸山があったのは今の日産プリンス静岡藤枝店の場所で、西側の堤の付け根だった付近に川中島八兵衛を祀る小祠があります。

青島地区における洪水の痕跡

千貫堤の碑がある場所は、大井川からは2km以上離れています。こんなところまで大井川の洪水が及ぶとは、今では想像しがたいものがありますが、江戸時代のはじめごろまではままあったことなのだそうです。

慶長9年(1604年)に発生した大井川大洪水は、周辺地域に大きな被害を及ぼしました。島田市向谷で堤防を決した濁流が島田市北側の山地づたいに青島地区に達し、瀬戸山にぶつかって隣りの高洲地区にまで洪水が流れ入ったといいます。この洪水を受けて東海道の島田宿は一時的に機能を元島田に移し、道筋も山の上を通るなどの変更を余儀なくされました[3]。青島地区では、洪水の後、千貫堤の南端にあたる本宮山の西側に、正泉寺淵という深い淵ができたと伝えられています[4]

また、千貫堤がつくられた寛永年間にも、青島地区は何度かの洪水に襲わています。瀬戸山中腹にあった無縁寺は、寛永4年の洪水で流れ着いた死者を供養するために建立されたものと伝えられています[5]。この無縁寺の麓から南に向かって千貫堤がのびていました。無縁寺は後に廃され、現在は延命地蔵堂として千貫堤の碑の北東側にあります。

千貫堤や丸山のしめ切り堤がこうした災害に対してどのように機能したのかは、よくわかりません。『青島町誌』によれば、千貫堤完成後の寛永16年(1635年)にまた洪水が発生し、そのときにも大きな被害があったといいます[6]。とはいえ、千貫堤は明治時代に入るまではその形をよく残していたそうで[7]、一定の役割は果たしていたのではないかと想像されます。

千貫堤の消滅

『青島の史蹟めぐり』によれば、明治22年(1889年)に鉄道が敷設されたとき、千貫堤の大部分と、中間地点にあった藤五郎山が削られて消失し、その土は線路の土台となりました[8]。丸山のしめ切り堤は、戦前に『青島町誌』が編まれたとき、すでに田畑と化していたそうです[9]。堤の起点になっていた瀬戸山と丸山も、昭和30年代から造成工事が始まり、昭和46年(1971年)までに青島小学校東側を残して消滅しています。

その後、千貫堤は旧東海道の南側から線路北側にかけてが残されていましたが、ここも最近になって一部が宅地化され、今では千貫堤・瀬戸染飯伝承館のある場所とその北側のわずかな区間が残るのみとなりました。ただ、地図や空中写真を見ると、岩城山や本宮山の周囲を斜めにのびる道筋にうっすらとその痕跡を認められます。

脚注

  1. 寛永12年(1635年)から同19年(1642年)にかけて。
  2. 『駿河志料』百廿八丁右 コマ143
  3. 青島史蹟保存会「古東海道蹟」
  4. 『駿河記』p.569 コマ378
  5. 『青島町誌』pp.162-163 コマ105
  6. 『青島町誌』p.423 コマ237
  7. 『青島町誌』pp.162-163 コマ105
  8. 『青島の史蹟めぐり』pp.24-25
  9. 『青島町誌』p.169 コマ108 御堤址

参考資料