碑データ
- 碑の内容
- 碑表:染飯茶屋蹟
- 碑裏:[なし]
- 碑右:琴風櫻井桂一郎書
- 碑左:平成六年十一月三日 青島史蹟保存会
- 看板:(9) 市指定文化財染飯茶屋蹟 [本文略] 平成十年五月青島史蹟保存会
- 石碑建立時期:1994年(平成6年)11月3日
- 説明看板設置時期:1998年(平成10年)5月
- 建立者:青島史蹟保存会
- 所在地:静岡県藤枝市上青島1031石野モータースの東角【地図】
- 最終確認日:2020年2月10日
メモ
染飯とは、クチナシの実で黄色く染めたご飯を、薄くかためて乾かしたものです。東海道沿いの茶屋で、街道をゆく旅人に供されていました。説明看板によれば、クチナシは足腰が強くなるといって好評だったとのこと。
昭和の中頃まで、下青島の青島小学校から内瀬戸のカインズモール付近にかけて、瀬戸山という丘がありました。東海道は、古くはこの瀬戸山の上を通り(古東海道蹟)、江戸時代に入ると麓を通るようになりました。染飯茶屋蹟碑の前を通る県道222号沿いに見られる松並木は、江戸時代に整備された旧東海道の名残です。
染飯茶屋は東海道が瀬戸山の上を通っていた頃からあったそうで、後に道が麓に移ると茶屋も山を下り、碑が置かれている付近で江戸時代の終わり頃まで商売を続けていたとのこと。茶屋があったところを瀬戸町といい、この付近には街道の休憩所である立場(たてば)が置かれていた時期もありました。
染飯の包み紙の印刷に使った版木が遺されており、これが昭和34年(1959年)に藤枝市から文化財指定を受けた旨を記した標柱が碑の南側に立っています。この標柱がある細道を南に入ると千貫堤・瀬戸染飯伝承館があり、そこで染飯や版木のレプリカを見ることができます。
『青島の史蹟めぐり』によれば、この地元では古くからクチナシは腰の妙薬と伝えられていて、クチナシで染めた強飯が農地開拓に励む人々の「ようじゃ」(おやつのこと、およーじゃなどとも)の定番でした。それがもととなり、茶屋で染飯を売るようになったといわれているそうです。
ところで、2020年現在、説明看板がなくなってしまっていて、石碑のそばに看板が付いていた柱だけが残っていました。私が最後に看板の存在を確認したのは2015年です。設置から20年を経て、石でできた碑はともかく、看板には傷んでしまったものが少なくありません。
なお、染飯茶屋蹟碑の銘を書いた櫻井琴風は、藤枝市出身の書道家です。
関連項目
- 青島地区の東海道:青島史蹟保存会「古東海道蹟」
関連資料
- 青島史蹟保存会編『青島の史蹟めぐり』1995年
- 静岡県志太郡青島町編『青島町誌』1930年、pp.156-160(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 静岡県志太郡役所編『静岡県志太郡誌』1916年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 最終更新:2020年2月18日 公開:2020年2月18日