- 建立時期:1919年(大正8年)
- 建立者:不明(本田組と向組?)
- 所在地:静岡県焼津市石津1201-2不岩院の参道脇【地図】
- 最終確認日:2015年1月11日
碑の内容
- 碑
- 紀伊國川中島八郎兵衛
こゝにまつりて
をがむ人[?]
参代之碑 大正八年建立
解説
碑の銘について、「をがむ人」のつぎの一文字がなんと書いてあるのかわかりません。私は「聲」のくずし字かなーと思ったのですが、『静岡県史』や『焼津市史』では「をがむ人事」と書かれています。いわれてみれば「事」に見えるような気もするのですが、確かにはわかりません。この「ここにまつりて をがむ人」云々というのは、八兵衛の供養に唱えられる御詠歌の歌詞の一部です。
『静岡県史』に、ここの八兵衛の供養祭「八兵衛さんのお施餓鬼」のようすと、そのときに唱えられる御詠歌の歌詞が記録されています。それによると、お施餓鬼は8月15日の晩に行われ、僧侶の読経や年配女性たちによる御詠歌で供養されます。御利益は流行病除けで、薬売りの八兵衛さんが流行病を治してくれたから祀ったという話が聞かれたと記録されています。
同じく『静岡県史』によると、お施餓鬼の世話人は石津の向組と本田組が交代でつとめていました。『石津の民俗』によると、石津の「向」は現在の石津向町付近、「本田」は向の西の八幡宮があるあたりです。『焼津市誌』では、ここの御詠歌が「石津本田」のものとして記録されています。同書による調査時の当番が本田組だったのでしょうか。
なお、『静岡県史』が調査を行なったさいには、碑は石津向町にあった石津岡公会堂の庭に祀られていました。もとは近くの川辺で祀っていたのを公会堂に移し、平成4年ごろに公会堂取り壊しにともない再度移転し、現在の不岩院へ安置されたという経緯があります。
ところで、碑に「参代之碑」とあるのは三代目の碑ということですが、初代や二代目に関する言及は資料の中には見つかりません。ひょっとすると、これは同じ石津の浜地区で祀られている八兵衛碑(石津浜の紀伊國川中島ノ八郎兵エ)から数えて三代目なのではないでしょうか。
石津浜の現在の八兵衛碑には二代目であることが刻まれており、初代の建立は文久年間との伝承があります。これを不岩院の八兵衛碑とくらべると、銘がほぼ同じで、碑に板状の石材を用いているという点でもよく似ています。これだけよく似ているということは何か関係があったのではないかなーと思うのですが、どんなものでしょう。ただ、石津浜のほうには八兵衛は薬売りという話は聞かれません。
参考文献
- 静岡県編『静岡県史』資料編24民俗2、1993年
- 静岡県教育委員会文化課県史編さん室編『静岡県史民俗調査報告書第十八集 石津の民俗』静岡県、1993年
- 焼津市誌編纂委員会編『焼津市誌』下巻、1971年
- 焼津市史編さん委員会編『焼津市史』民俗編、2007年
- 木簡字典・電子くずし字字典 [共通検索システム](「聲」もしくは「事」で検索)
- 最終更新:2015年6月7日 公開:2015年6月7日