青葉町2丁目の川中島八兵衛の思い出

25年ほど前に「青葉町2丁目の紀伊國川中島小長谷八兵衛」の聞き込み調査をしたのです。

紀伊國川中島小長谷八兵衛

青葉町2丁目の八兵衛碑、平成24年に改築される前の堂

四半世紀前の「青葉町2丁目の川中島八兵衛」聞き込み調査

四半世紀ほども前、青葉町2丁目で祀られている川中島八兵衛について周辺の家の方々にお話をうかがったことがあります。

正確な時期は忘れてしまいましたが、昭和から平成に変わる前後の時期ではあったと思います。青葉町2丁目の八兵衛碑は当時も現在とほぼ変わらない姿で、小堂の中にあって花などが供えられていた覚えがあります。この時、私は八兵衛さんのことをまったく知らず、神仏でもないようなのに丁重に祀られているこの謎の石碑がなんなのか見当もつきませんでした。

結果を先にいってしまうと、この時の聞き込みでは情報がごくわずかしか得られず、謎の石碑の正体も八兵衛さんが誰なのかもまったくわからないままに終わりました。

そもそも碑の存在を知っている人がなかなか見つからず、お堂は見たことがあるが中身は知らないという方が大半だったように覚えています。花が供えられている以上供えた方がいるはずなのですが、それもどなたかわからずじまいでした。近所の人に聞けばすぐにわかるだろうと軽く考えていたので、この結果には衝撃を受けました。今思えば、聞き込み範囲をもっと拡げて昔からの住人を探せば違った結果があったかもしれません。

最終的に碑を知っていた人物は二人見つかりました。そのうち一人からは、なんだか知らないがとにかくお墓だという、今思えば非常に核心に迫った情報をいただきました。もう一人からは、昔この地域の水路を改修した人物を讃えた碑ではないかというお話を聞かせていただきました。

この水路改修を行った人物に関わる碑ではないかというお話は、結果としてはどうも違うようだということになったのですが、とても興味深いお話でした。かなりうろ覚えになってしまっているのですが、以下にその内容をメモっておきます。

謎の石碑は水路改修に関係するもの?説

誤って記憶している部分があるかもしれないことと、話の内容がどの程度事実に即しているのか確認できていないことを、あらかじめご了承ください。

この付近に昔、大川という水路があった。田の中を屈曲しながら流れていて、水が滞りあふれやすく困っていた。これをある人物がまっすぐに改修して、おかげで今のように安定した水供給がなされるようになった。問題の碑は、この改修を行った人物に感謝しその功績を忘れないために建てた碑だ、というお話だったと記憶しています。

大川が流れていた場所は現在八兵衛碑がある水路の南側付近で、田んぼの中を斜めに流れていたそうです。現在もその近くを用水路が流れていて、それが改修後の大川だということでした。つまり、現在八兵衛碑がある水路は大川ではないということでした。

水路改修を行った人物を長谷川さんとおっしゃっていた覚えがあり、おそらく島田代官・長谷川藤兵衛のことではないかと推測します。長谷川藤兵衛が実際に青葉町2丁目付近の水路改修に関わったかどうかは不明です。

この時、青葉町4丁目の某家の近くにも同じような碑があると教えていただいた記憶があります。これは現在も青葉町4丁目にある下青島川原組建立の八兵衛碑のことでしょう。

このお話をしてくださった方は、碑に何が記されているかはご存じなかったようでした。こちらが碑の内容を伝えると、それは水路改修を行った人物とは別人で自分の誤解だったというようなことをおっしゃったと記憶しています。

その一方で、大川については前述の通りとても詳しく教えていただきました。碑に関する説も、ある程度確信を持っておっしゃっていたように思います。というか、わりと確かなところでそのような説が唱えられているといった雰囲気だったように記憶しているのですが、その情報ソースを聞いておくべきでした。

あんがい本当に関係あるかもしれない八兵衛さんと水路の話

以上のお話をうかがって、当時は、興味深いが八兵衛さんとは関係なさそうと考えました。しかし、今思い返してみると、あんがいまったく無関係でもないのかもしれません。水路改修に関する碑と誤解されていたこと自体が、この付近では八兵衛さんが治水に関連付けられて信仰されていたことを示唆していると考えられないこともなさそうです。

何の前知識もなしに内容を把握してもいない碑の由来を思いつくとは考えがたく、碑と水路改修を関連付けたくなるような要因が何かあったはずです。碑が水路沿いにあるからという理由が考えられますが、その水路は改修された大川ではなく、それだけで確信を持つには至らないのではないでしょうか。そこで、あの碑は治水に関係するものだという認識がまずあったのでははないかと考えたのです。

各地で様々に信じられている八兵衛さんのなかには、川除けの人柱や水害で亡くなった人など水害や治水と絡めて信仰されているものもありました。青葉町4丁目の八兵衛さんにも災害除けの役割があったことが、同碑の説明板の文言からうかがえます。明言はされていませんが、栃山川のすぐ近くという立地を鑑みるに、災害のうちには川の氾濫などの水害も含まれていたでしょう。その近くにある2丁目の八兵衛さんも同様に水害除け、すなわち川の水を治めることを期待されていたと推測することはできます。

青葉町2丁目の八兵衛碑は当時すでにその存在自体が忘れられつつあったわけですが、なんだか知らないがお墓だという方がいたように、なんだか知らないが治水に関する碑だという断片的な情報が伝わっていた方がいたのかもしれないと思いついたわけです。元を辿ればそれこそ川除けの人柱や水死人の墓と信じられていたのかもしれず、あるいはひょっとすると治水工事を行った八兵衛さんだったのかもしれない……などと妄想が広がってしまいます。

とはいえ、お話をしてくださった方がどういう経緯で八兵衛碑を水路改修に関する碑と誤解したのかわからない以上、これらのことはまったく想像でしかありません。改めてお話をうかがいに行こうにも、すでに25年以上も時が経ってしまったうえに、今となってはどの家の方だったのかも不確かになってしまいました。つくづく、あの時もっとしっかり聞き込んでおけばよかったと悔やまれます。

関連項目
親記事:青葉町2丁目の紀伊國川中島小長谷八兵衛
青葉町4丁目の川中島八兵衛:下青島川原組の紀伊國川中嶋小長谷八兵衛
参考文献
川中島八兵衛参考文献リスト
関東農政局/3. 新田開発とため池 【農と歴史】
00shizuoka静岡観光おでかけガイド : 島田代官 長谷川藤兵衛の墓所 県指定文化財の山門 曹洞宗 富洞山 天徳寺  (静岡県島田市大草911)
大井川の監物水門と木屋水門 - かさぶた日録

最終更新:2014年3月16日 ページ作成:2014年3月16日