志太の石碑・石仏めぐり

高田の紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様

山の上の観音堂境内に安置された八兵衛さん。高田の御詠歌にうたわれる 「あららぎの里」とは!?

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様、銘

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様、覆い屋

左側の屋根は観音堂本堂

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様、六面観音堂入り口

観音堂参道入り口

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様、六面観音堂

六面観音堂

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様、石仏群

六十六部供養塔など

碑の内容

紀ノ国川中島ヲハセノ八兵エ様
明治十四巳四月立之
世話人 秋山常右エ門

解説

高田の観音堂の所在地は、新東名高速藤枝岡部IC料金所の西側の山の南側斜面、藤枝市高田262の西側に参道入り口があります。入り口わきに「従是六面観世音道」[1]との道標があるのですが、草がよく茂っている時期だと気付きにくいかもしれません。

八兵衛碑は、参道の石段を登りきった先の右手の覆屋内にあります。八兵衛碑の背後には、木製の厨子と、二匹の狛犬がそえられた小さな祠が収められています。小さな祠は 、瓦のような材質で、外観からはなにを祀っているのかわかりませんでした。木製の厨子は、中に「高田神祝、猿田彦大神、子歳男病平癒」などと墨で書かれた木札が納められているのが見えます。また、覆い屋のそばには多数の石仏が集められており、地蔵や不動明王、「奉納大乗妙典六十六部供養塔」[2]と刻まれた石碑などが並んでいます。

八兵衛碑の銘の「ヲハセ」とは、地区によっては八兵衛の御詠歌の5番の歌詞に見られる単語で、おそらく「紀伊国川中島小長谷八兵衛」の「小長谷」を読んだものと考えられます。なお、『民俗大井川』によると、高田では御詠歌2番の歌詞に特徴があり、他所では「やまがやつ たにがここのつ みがひとつ わがいくすえは ひいらぎのさと」としているところを、高田では「あららぎのさと」としているそうです[3]

宮崎県高千穂町の高千穂神楽の神楽歌に、「谷が八つ峯が九つ戸が一つ鬼の住処はあららぎの里」という歌詞があるそうです[4]。見ればわかるとおり、八兵衛御詠歌の2番はこれによく似ています。このような似た歌詞は広島県の十二神祇神楽にも確認でき、ここでは「峯七つ谷は九つ戸は一つ、鬼が住む町あららぎが里」などといった歌詞があります。[5]。また、「山が八つ谷が九つ」というフレーズは、関東地方の獅子舞歌などにも見られます[6]。八兵衛御詠歌は、もしかしたらこのような神楽歌などを参考に作られたのかもしれません。

ところで、高千穂神楽や十二神祇神楽の歌詞では、「あららぎの里」となっているわけです。八兵衛の御詠歌に関しては、ほとんどの地区で「柊の里」としており、「あららぎの里」としているのは確認できたかぎりでは高田のみです。もしかしたら、御詠歌の本来の歌詞は、高田のように「あららぎの里」が正しかったのでしょうか?あるいは、高田では神楽などで「あららぎの里」の歌詞が知られていて、それに引っ張られて八兵衛御詠歌も「柊の里」から「あららぎの里」に改変されたのかもしれません。

脚注

  1. 表面「従是六面観世音道 六丁」左側面「願主 上薮田村 [不読]右衛門」
  2. 表面「天下泰平 天保[五?]年 岡村[?]右衛門、奉納大乗妙典六十六部供養塔、国[中?]安全 [?]二月吉日」
  3. 長谷川一孝「川中嶋八兵衛」『民俗大井川』第1号、大井川民俗の会、1973年、pp.30-39
  4. 高千穂町コミュニティセンター・歴史民俗資料館 > インターネット展示室 > 高千穂町の民話と伝承
  5. 三村泰臣「八幡川水系の神楽」『広島工業大学研究紀要』第34巻、2000年、p.173(PDF 5ページ目)
  6. 高水山古式獅子舞 > 各地の獅子舞歌 (「山が八つ谷が九つ」でページ内検索)