説明文 |
惣社権現社は左手奥の方向? |
標柱に記された説明によると、“惣社権現社の馬場・参道のあと地では”と考えられるそうです。この標柱から北西200mほどのところに「旧地名 惣社の腰」の標柱があり、かつてその付近に惣社権現社があったものと思われます。
総社の腰の標柱には、惣社権現社の周囲に坂田の森という大きな森の中があったと記されています。『東益津村々誌』によると、坂田の森には、往古、坂本神社の神輿が渡御し流鏑馬の儀式を行ったという言い伝えがありました。同書では、馬場元をこの流鏑馬に関係する地名としてあげており、付近には駒止橋という場所もあったそうです。
惣社権現社は現存しません。『東益津村々誌』に、惣社の腰にあった「坂田神社」が坂本神社境内に移されたとあり、これが惣社権現社のことと思われます。その坂田神社の享保13年(1728年)の棟札の写しに、境内が205坪8合(約680m2)、雨覆(本殿を覆って保護する建物)が間口1間4尺(約3m)・奥行1間2尺(約2.4m)とあるそうです。『駿河記』でも惣社権現社は小社とされ、それそのものに馬場などの施設が付属するような大きな神社ではなかったようにうかがえます。『東益津村村誌』にもあるとおり、馬場元とは、元々は坂本神社に関わる地名だったのでしょう。