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標柱に記された説明によると、“「惣社権現社」(神社)の脇地は坂田の森という大きな森であった”とのこと。建立年などの記載もあったようですが、読めませんでした。
惣社権現社は、『駿河記』・『駿河国新風土記』によると、神明宮(現・坂本神社)の南2町(約200m)あまりの田の中の森にある小社でした。駿河国総社(現・静岡浅間神社)に関係して祀られるようになった神社と推測されていますが、どのような神社だったのか詳しくは伝わっていないようです。
坂田の森というのは、同じく前出2書によると、『日本惣国風土記』に坂本神社の行在宮であると記されている場所で、惣社権現社がある森がこれであると比定されています。『東益津村々誌』によると、往古、坂本神社の神輿が坂田の森へ渡御し、流鏑馬の儀式を行ったと言い伝えられているそうです。坂本神社例祭のときの御旅所だったということだと思われ、『日本惣国風土記』のいう行在宮も同じ意味のものでしょう。なお、この流鏑馬と関係すると考えられる「旧地名 馬場元」の標柱が、惣社の腰の標柱から南東に200mほど離れたところにあります。
現在、惣社権現社は総社の腰にはありません。『東益津村々誌』に、惣社の腰にあった「坂田神社」が坂本神社境内に移されたとあります。祭神不明、風土記のいう坂本神社行在社であるとしており、これが名称変更された惣社権現社でしょうか。坂田の森も、太平洋戦争以前に田として切り拓かれていたようで、戦後すぐに撮影された航空写真にはすでに見られなくなっています。
ところで、肝心の「旧地名 惣社の腰」ですが、惣社権現社の鎮座地であることからついた地名でしょう。坂本神社の鎮座地は宮腰(『東益津村村誌』では宮ノ腰)というそうです。