静浜街道とは、静岡県中部の志太平野沿岸部にあった、明治時代の私設道路です。平野南部の大井川最下流部の地域と北部の焼津の町とを結び、さらにその先の静岡市へと通じていました。建設発起人・池谷政一郎(現・焼津市宗高出身、1834年-1887年)の名をとって池谷街道とも通称され、今では通称の方がよく知られています。
静浜街道の建設工事は、明治9年(1876年)頃から明治19年(1886年)頃にかけて、発起人の池谷政一郎が中心となり私費を投じて行われ、現在の静岡市駿河区石部から榛原郡吉田町片岡まで約18kmの道路が通じました。開通から明治37年(1904年)3月までの間は、工費償却のため通行料金を徴収していたといいます。
静浜街道の特徴は、目的地を目指してまっすぐに進む直線道路だったということです。現在ではまっすぐな道はそれほど珍しい存在ではありませんが、明治時代以前の道は、不揃いな形の田畑が広がる中を田んぼの縁に沿って屈曲しながら通るのが普通でした。とくに明治初期の志太平野南部沿岸部には、ろくに整備もされていない幅2m未満の道しかなかったといいます。静浜街道はそこに初めて整備された人馬が通ることを考慮された道路であり、非常に画期的な存在でした。
『大井川町史』によると、静浜街道開削に刺激され、周辺地域では道路の改修が相次いで進められたといいます。また、静浜街道自体は有料道路ではなくなった後は地元の出費で管理されることになったのですが、『相川村誌』によると “道があると便利” だったそうで、無料化後もよく維持されてきたようです。
静浜街道の静岡市・焼津市間の道は、大崩という断崖絶壁の海岸を浜伝いに通っていたのですが、現在では海岸侵食のため跡形もなくなりました。この区間では、昭和に入ってから崖上に通された県道416号(旧・国道150号)も、現在は焼津市側で崖崩れのため通行できなくなっています。その名の通り大崩なわけです。
それ以外の焼津市・吉田町を通る平地の区間では、つい最近まで静浜街道の道筋の大部分が残っていました。道路自体は明治以来何度も改修工事がなされており、部分的には国道・県道に取り込まれた場所もあり、静浜街道そのものが残っているとはいえません。しかし道の線形には静浜街道以来大きな変化はありませんでした。とくに直線道路の特徴がよく残る焼津市南部を通る部分は、現在も地元の人々に静浜街道の通称である池谷街道の名で呼ばれ続けています。
ところが、現在、焼津市内で大規模な区画整理が行われており、これまで残されていた静浜街道の跡が消えつつあります。焼津市中部にある石津地区ではすでにほとんどが消失しました。また、現在はその東側の小川港周辺地域で「会下ノ島石津地区土地区画整理事業」が進められており、ここでも街の様相が大きく変わりつつあります。
小川港周辺の区画整理は平成27年度完成の予定。つまり、この区間では近日中に今ある道筋の大半が消えてしまいそうなのです。そういうわけで、2015年正月にとりあえず見に行った、というのが今回の訪問記になります。焼津市内の全区間を一度に踏破するのはきびしかったので、今回は区画整理が進んでいる小川地区と、その北側の焼津地区を見てくることにしました。 *1
静浜街道跡とはいうものの、前述の通り現在の道路は静浜街道の面影が残っているとはいいがたいです。道幅も拡げられていますし、路面の舗装も戦後になってから行われたものです。当初は屈曲していたのを後の時代にまっすぐに直した場所もあります。また、道中に明治以来の道路関係の遺物といったものは一切存在しません。
なんというか、今となってはごく普通の町中の道で、とくにこれといった見所があるわけでないということは、最初に言っておかないといけないと思いました。静浜街道を辿るといってしまうと詐欺のような気もするので、今後の文中ではこれから辿る道を池谷街道と呼ぶことにします。実のところそれもちょっとビミョウ……という点については、追って本文で触れます。
訪問は2015年1月に複数回行いました。移動手段は徒歩です。本文中で用いる写真についてはその際に撮影した中から比較的写りがよいものを選んで掲載し、撮影時期が大きく異なるものについてはそのつど記載します。また、文中「現在」というのは2015年1月のことになります。
ところで、そもそもどうやって静浜街道跡を特定したのかという話があるわけですが、『大井川町史』下巻に掲載されている地図を主に参考としました。このほかにまとまった資料としては『定本静岡県の街道』があります。
*1:各地区がどのへんかということについては、『焼津市 - Wikipedia』や『焼津市/統計やいづ 焼津のあゆみ(PDF)』などを参照してください。焼津市内の池谷街道の径路について大まかにいえば、大崩海岸を含む焼津市北東部の東益津地区沿岸から、港町である焼津地区・小川地区を南下した後、やや西の内陸よりに方向を変えて、農地が広く残る大富地区・旧大井川町地区を通過し、大井川の河岸に突き当たる感じです。