- 建立時期:1912年(大正元年)10月16日
- 建立者:滝沢中組
- 所在地:静岡県藤枝市滝沢1320八坂神社の南西、滝沢川沿い【地図】
- 最終確認日:2015年4月25日
碑の内容
- 表
- 紀伊國川中嶋小長谷八兵衛
- 右
- 大正元年旧十月十六日建之
[以下人名5人分、女性2人、不明(不読)3人] - 左
- 瀧澤中組
[以下人名14人分、男性3人、女性4人、不明(不読)7人]
解説
八坂神社前の滝沢川沿いに、多数の石仏とともに並べられています。石仏には地蔵、馬頭観音のほか、西国巡礼塔、善光寺供養塔(善光寺を参拝した記念に建てた碑)、庚申塔などがあります。
八兵衛碑の側面には、建立にかかわったらしい人の名前が19人分ずらっと刻まれています。そのうち男性と判別できるものは3人、女性は6人。半数以上の10人分の名前が完全には読み取れないのですが、うち4人の名前にひらがなが見えます。おそらく、ひらがなの名前の方は女性だったのではないでしょうか。この推測があたっていれば、刻まれた名前のうち半分を占める10名が女性だったということになります。
八兵衛の祭祀に関して、地元の年配女性たちが御詠歌を唱えて供養する「おしょうや」というものがあります。おしょうやはやらないというところもありますが、やるところではたいてい8月の供養祭のときに行ないます。詳しくは「川中島八兵衛の御詠歌(おしょうや)」を参照してください。
で、この滝沢中組の八兵衛碑に刻まれた女性たちですが、おそらくおしょうやを唱える女性たちだったのではないでしょうか。このようにわざわざ個人名を列挙してあるということは、碑の建立はこの女性たちが中心となって行なったのでしょう。もしかしたら、八兵衛の祭祀自体が、この女性たちによって行なわれていたものだったのかもしれません。なお、他所の八兵衛碑では「老女中」などと刻まれたものがあり(焼津市石津浜・大覚寺)、これも同様におしょうやを唱える女性の集団だったと推測されます。
- 最終更新:2015年12月27日 公開:2015年12月27日